供述調書の信用性2題

恐喝未遂:被害者供述に合理的疑い 札幌地裁が無罪判決

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20050226k0000m040190000c.html

 恐喝未遂罪に問われた札幌市豊平区月寒東3の4、自動車販売業、有馬卓也さん(42)に札幌地裁は25日、無罪(求刑・懲役2年6月)を言い渡した。半田靖史裁判官は「被害者の供述は変遷を繰り返し、金を要求した事実を認めるには合理的疑いが残る」と述べた。
 有馬さんは昨年7月、札幌市東区の路上に止めた車内で20代の男性から金を脅し取ろうとしたとして、恐喝未遂容疑で逮捕、起訴された。公判で「売った車の金が支払われなかったため、話し合っただけ」と起訴事実を否認。被害者の証言の信ぴょう性が争点となった。
 札幌地検の向井壮次席検事は「上級庁と協議し対応を決めたい」とのコメントを出した。

愛媛・大洲署、置き引き“共犯”で誤認逮捕

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050224i314.htm

 愛媛県警は24日、大洲市内のスーパーで昨年11月、手提げ袋を置き引きした女(35)(窃盗罪で起訴)の供述から、大洲署が知人の主婦(30)を共犯として誤認逮捕していたと発表した。 
 県警によると、昨年11月18日にスーパーで2万5000円入りの袋を盗んだ女の共犯として、今年1月21日に主婦を窃盗容疑で逮捕した。主婦は当初、調べに対し、見張り役だったことを認めたという。 
 しかし、その後の捜査で、主婦が事件当時、パート勤務中だったことが判明した。同署は今月7日、主婦を釈放して謝罪した。

 落合弁護士のブログで調書(特に検察官面前調書)の信用性について、何日かわたって議論がなされていました。

 周知のように調書は、被疑者と調べ官のやり取りを逐一記録したものではなく“被疑者のモノローグ形式”で作成されています。つまり、調べ官と被疑者がある程度まとまったやり取りを行った後、調べ官が“問わず語り”を聞き取ったかのようにして書き綴り、それを被疑者に読み聞かせ署名捺印させたものが調書となっているのです。
 したがって調書は、被疑者の供述を余さず書き記した“速記録”ではなく「被疑者の供述と捜査機関の心証の狭間で構築される物語*1」ということができます。
 裁判所(関係者と思しき方々)は、そのようにして作成された調書の内容を信用してよいかどうかについて、他の調書や共犯者・被害者等の供述及び客観的証拠と付き合わせることや、犯人しか知りえない秘密の暴露があるかどうかなどを検討し、吟味に吟味を重ねており、そうやすやすとは虚偽(でっち上げ)調書を証拠採用しないものであると主張されております。

 裁判所が、「調書の信用性については、慎重な検討を重ねた上で判決しているのだ」と胸を張って主張されるのは心強い限りです(だからこそ、前掲の札幌地裁判決のようなことがあるのでしょう)。

 ところで現在、検察庁裁判員制度導入を前に調書の信用性/任意性を担保するための新たな方策の導入を検討されているようです*2
 具体的には、取調べ過程を録音・録画することにより、被疑者が供述を強要されたり供述内容を捻じ曲げて調書作成をされていないかどうかを後から検証できるようにすることで、調書の信用性/任意性の有無に対する判断を容易にしようとしているようです。

 この“取調べ過程の録音・録画による透明性の確保”については、
(1)全ての被疑者取調べにおいて、透明性を確保する
(2)透明性が確保された被疑者取調べについてだけ、自白の任意性を認める
の2つの考え方があって、
「(2)であれば、録画を見せれば裁判所が自白の任意性に疑いを持つような取調べが仮に犯罪の立件に必要なのだとしても、要はそのような取調べに基づく調書を自白の証拠として使用しなければ良いだけである」との意見があるようです *3*4。また捜査経済上の観点からも、取調べの全過程について録音・録画するのではなく、節目となる取調べについて録音・録画して調書と一緒に証拠提出する方法が採用される可能性があります。

 私は、このような“取調べの部分的可視化”は採用すべきでないと考えています。

 理由は簡単で、取調べの圧力は、その場その時に限ったものではないからです。
 取調べ担当警察官は、検事調べに臨む被疑者に対し「今まで作成した調書と矛盾した供述をしないように」とそれこそ口を酸っぱくして言い聞かせるものです(私がそうでした)。検事調べの場で今までの供述を翻そうものなら後には長時間に及ぶ厳しい取調べが控えているわけですから、被疑者は予め確定したシナリオ通りの供述を行うわけですが、その検事調べだけを切り取って検証しても自白の強要を示すものなど出てくるわけがありません。
 これと同様に、後の厳しい取調べをほのめかすことで、マイク・カメラの前で調べ官の意に沿う供述をさせることは充分可能なのです。

 もっと言えば、音声や画像に現れた取調べ状況の印象が強すぎると、その印象に引きずられてしまい、従来多角的に行われてきたような調書の信用性/任意性に対する検証がなおざりになる危険さえあると言えましょう。

 取り調べ過程の可視化については、今後も議論の推移に注目したいと考えています。

*1:http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20050220#1108828068における、しまじろう氏コメント

*2:http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050223i203.htm

*3:http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20050221#1108916083におけるMizusumashi氏コメント

*4:なお、この意見は、取調べの可視化によって被疑者が腹を割って話が出来ず、反省する機会が失われるのではないかという憂慮に対して述べられたものです