井上判事再任問題・2

 前回のエントリーで「井上薫判事問題」について、思いつくままに書き綴りましたところ、お読みになった方から「もう少し丁寧に書いたほうがいい」とのアドバイスをいただきましたので、再度本問題について書きたいと思います。

「再任」とは何か

 まず、裁判官の「再任」について概観します。
 我が国の下級裁判所裁判官は、司法修習を終えた者の中から任命された判事補と、判事補、簡易裁判所判事、検察官、弁護士、裁判所調査官などといった職に10年以上就いていた者から任命される判事から構成されます(裁判所法42条、43条)*1
 任命された裁判官は、その身分を手厚く保障されており、裁判により心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されないこととされていますが(憲法78条)、他方任期は10年と限られており、10年毎に内閣によって再び任命される(再任)という形をとっています(憲法80条1項)。

 この「再任」規定につき、『基本法コンメンタール 憲法』では、以下のように解説されています。

 日本国憲法の基礎になったマッカーサー草案から、法曹一元制の理念を読み取り、「再任」とは「新任」と同じで、再任するか否かは指名権者たる最高裁判所の(つまり、裁判官会議の)自由裁量事項だとする学説(A)がある(田中英夫アメリカの裁判官と日本の裁判官」ジュリスト480号)。なるほど、「任期」という言葉からすれば「裁判官の首は〔それが〕満了したときはその時に切れる」(柳瀬良幹「裁判官の任期と再任」ジュリスト480号)。しかも、憲法にも裁判所法にも、再任するかしないかについての実体的基準がないのだから、それは最高裁判所のほうからみれば自由裁量だというのも一理あるように思われる。だが、この問題を裁判官のほうからみると、再任されたり、またはされない人は新任ではなく、その時まで10年あるいはその数倍の間裁判官として生活してきた人であり、不再任は罷免=免官に等しい。このA説は「任期」「再任」の字義に忠実であるが、「再任されることができる(with privilege……)((All such judge shall hold office for a term of ten years with privilege of reappointment ――「再任の特権をもつ」))というのは、まさに再任を希望する側からの文体であるという指摘(高田敏「司法修習生罷免および裁判官再任拒否の法解釈」法律時報43巻8号)に照らすと、文理解釈という点からの難点がある。
(『基本法コンメンタール 憲法』(第4版)日本評論社327頁)

 これを読むと、「再任されることができる」という規定について、「裁判官の再任・不再任は最高裁の自由裁量である」という解釈と、「裁判官は原則として再任されるべきである」という解釈があるということですが、私は後者の解釈を支持します。
 その理由として、さしあたり次の3点を挙げさせていただきます。

  1. 再任・不再任の判断が指名権者の自由裁量であるとすると、憲法78条で裁判官に対しわざわざ特別な身分保障をしていることの意味が喪われるのではないか。
  2. 下級裁判所裁判官の任期10年は、最高裁裁判官の国民審査に対応しているものと理解されるところ*2最高裁裁判官については定年にいたるまで身分が継続することを前提としているのに対し*3下級裁判所の裁判官に「再任の原則」を認めないとなると、全ての裁判官に同等の職権の独立を認めている憲法の基本原則に照らして著しく均衡を欠くのではないか。
  3. 日本国憲法制定時に法制局が作成した「憲法改正草案に関する想定問答」において、「我が国ではすべて専門の裁判官である実情に鑑み、10年の任期は短きに失する。従って原則として再任すべきものとする。」としていること、また現行憲法を審議した第90回帝国議会貴族院*4において、佐々木惣一議員の「下級裁判所の裁判官は任期が10年で、再任されることが出来るとありますのですが、(中略)その再任が出来るか出来ぬかは、内閣の方で言う迄待って居なければならぬのですか、十年経ったらば再任を要求する‥‥再任を一つ出願して見ることが出来ると云うような、そう云う規定を仮に、この憲法で直すことが出来ないとすれば他の規定で設けると云うようなことはいけないものでございましょうか」という質問に対し、金森徳次郎国務大臣が「最高裁判所がどうするかと云うことは、相当これから裁判所の、いわば統一体と云うような原理に依って十分研究されることと思いますが、故なく再任を拒むと云うようなことはなかろうと思います」と答弁していることから窺い知ることができるように、立法者は「原則再任」と考えていたのではないか。

「再任の原則」の例外とは何か

 以上述べましたような理由から、私は「裁判官は再任が原則である」と考えているわけですが、次にその例外、すなわち「再任の拒否」はどのような場合に許されるかについて述べてまいります。
 まず、裁判官の身分保障と両立するものとして憲法上認められている「心身の故障に基づく執務不能」と「弾劾事由に相当する場合」(憲法78条)については、認められると考えてよいと思われます。
 問題は、この弾劾事由該当者・執務不能者とまでは言えない者を、「裁判官として職務遂行に不適格である」として不再任としてよいのか、という点です。

「不再任事由」の範囲

 これについて宮沢俊義は「(任期を定めた理由は)任命権者および補職権者が、・・・改めて自由に裁判官の選考および異動をおこなうことができ、従来裁判官であった者でも、著しく成績の悪い者をのぞくことができるようにすることにあると考えられる。」*5としており、佐藤功は「(不再任の対象としては)特別の事情にある者、例えば老齢の者や病気のためかねて辞意を表明していた者、あるいは懲戒処分をしばしば受け不適任であることが客観的に認められる者がこの機会に地位を失わしめられることは認められるが、その他不当な理由(たとえば裁判官の思想傾向を理由とするがごとし)によって再任せしめないことは認められない。」*6としています。
 不再任理由を弾劾事由該当者・執務不能者に限定してしまうと、憲法80条1項の定める「10年毎の再任」が全く意味を持たないことになってしまいます。また、10年毎のチェックを一切排除してしまうと、今度は10年毎に国民審査を受ける最高裁裁判官との均衡をかえって失することにもなってしまいます。したがって、「懲戒をしばしば受け不適任であることが客観的に認められる者」や「著しく成績が悪い者」を不再任の理由とすることには一定の合理性があると考えます。

再任手続はどうなっているか

 で、一体誰が、個々の裁判官を審査し、再任するにふさわしいか否か判断するのでしょうか。
 下級裁判所裁判官の指名=名簿作成は、司法に関する人事行政事務ですから、最高裁判所のおこなう「司法行政事務」として、その裁判官会議によるものとされています(裁判所法12条)。
 2003年5月から、「下級裁判所裁判官諮問委員会」(以下「諮問委員会」という。)が設置され、裁判官の再任・不再任についてはこの諮問委員会の答申に基づいて最高裁判所裁判官会議が判事指名簿を作成し、内閣に提出することとなりました。

手続の流れ

 まず、最高裁が、指名候補者の名簿及び略歴を記載した書面を諮問委員会に提出します。諮問委員会は、高等裁判所毎に設置された下級裁判所裁判官諮問委員会地域委員会(以下「地域委員会」という。)に、管内の指名候補者に関する資料を提供するとともに、指名の適否について慎重な判断を要すると考えられる者(重点審議者)について情報の収集を要請します。
 地域委員会は、指名候補者の現任庁に対応する検察庁弁護士会に対し名簿を提供し、所属の検察官、弁護士個人からの情報を地域委員会が直接受け付けるという方法などにより、調査結果を諮問委員会に報告します。
 諮問委員会は、地域委員会から提供された情報、最高裁から提供された資料等に基づき、重点審議者を中心に指名の適否を審議し、答申します。

指名方式

 最高裁は、諮問委員会の答申に基づき判事指名簿を作成します。最高裁は、諮問委員会の答申に反する指名をおこなうことができますが、そのときは諮問委員会に対し理由を通知する必要があるとされています(下級裁判所裁判官諮問委員会規則4条)。
 名簿の方式については特に規定はありませんが、1名の空席に対しては1名の候補者、数名の空席に対してはその同数の候補者を、予備候補ともいわれるべき者1名とともに指名するのが通例とされているようです。

内閣の任命

 内閣は、こうしてできあがった指名簿をもとに判事(補)を任命します。今まで内閣は、この指名に対して任命を拒否した例はないといわれています。また、「裁判所の恣意的な任命によって司法権の独立が害されてはならない」*7という理由から、法解釈上においても内閣の積極的な任命拒否権は認められないとされています。

井上判事は、明らかに「不再任が妥当」なのか

 井上薫判事が、「弾劾事由該当者」「執務不能者」「懲戒をしばしば受け不適任であることが客観的に認められる者」「著しく成績が悪い者」などに該当するのか否についてですが、井上判事の下した判決が上訴審判決中で「理由不備」と再三にわたり指摘され、そのことを理由に分限裁判で戒告等の処分をしばしば受けている事実があるというなら格別、単に一度非公式に上司から注意を受けたに過ぎないということであれば、「懲戒をしばしば受け不適任であることが客観的に認められる者」「著しく成績が悪い者」とまで言うことはできないように思われます*8

 今回、下級裁判所裁判官諮問委員会が井上判事を「再任不適格」と答申した理由について、現在のところ公式には明らかにされていません。また、再任手続に関する規定の中に、審議対象者本人に対する理由の告知、聴聞および弁明の機会について定めたものが全くないことは前述のとおりです。では、井上判事は自らが「再任不適当」とされた理由をどうやって知り、またその判断に対する不服をどうやって申し立てることができるのでしょうか。

 次回は、「不再任に対する救済の可能性」について、検討したいと思います。

*1:それに、判事補等の職に3年以上就いているか、長年司法事務に携わり、選考試験に合格した者の中から任命された簡易裁判所判事がいます(裁判所法44条)

*2:宮沢俊義日本国憲法有斐閣661頁

*3:最大判昭和27年2月20日

*4:昭和21年9月23日帝憲法改正案特別委員会

*5:宮沢俊義日本国憲法』661頁

*6:佐藤功憲法』(ボケット註釈全書)有斐閣474頁

*7:佐藤功・前掲書1031頁

*8:再任・不再任が全くの自由裁量であるとしても、憲法の建前に反する判断基準に基づく不再任は裁量権の乱用に当たるでしょう。そして、理由が明らかにされない限り、裁量権が適正に行使されたか否かは不明なままになってしまいます。