人権擁護法案検討メモ―番外編その7

 お忙しい中、bewaadさまから丁寧なご指導をいただきました。本当にありがとうございます。拙ブログのエントリー群が“法案分析”と呼べる代物ではないことは承知していますが、拙ブログがBewaad Institute @Kasumigasekiにおける一連のエントリーを生むきっかけの一部になれたとするならば、チマチマ書いてきた意味もあったのかなと自己満足しております。

さて。

人権委員会が収集した資料の閲覧謄写>

 「人権委員会が収集した資料の閲覧謄写」についてですが、私は“法律”と“刑事局長通知”を同列に並べてしまうという、全く初歩的な誤りを犯しておりました。なるほどご教示いただいたとおり、刑訴法に比べて法案ははるかに限定的であり、紛争当事者の双方に対して相当程度配慮した内容だったのですね。
 bewaadさまのご説明を伺うことで私の疑問(偏見?)がより明確になったように思いますので、すこし印象を述べさせていただきます。

民事訴訟と資料閲覧のタイミング>

まず、

 明示的に民事訴訟提訴後に限ってもよいではないかという立場もありますが、例えば匿名の相手方については、そもそも誰を訴えていいのかわからないわけですから、提訴後に限ると事実上この場合の「被害者」は訴訟による「権利の行使」が不可能となってしまいます。 
 それなら提訴後と提訴に必要な場合に限ればよいかというと、調停や仲裁を申し立てたいけれども相手方がわからないケースはどうだとか、そういった話になってくるわけです。(Bewaad Institute @Kasumigaseki 2005年3月24日付エントリー*1より抜粋)

 についてですが、「ああ、これは“振り込め詐欺被害者の訴状却下”によく似ているのだな」と思いました。
 “振り込め詐欺被害者の訴状却下”については大きくニュースで取り上げられたので覚えていたのですが、改めて顛末を記しておきます。

 「振り込め詐欺」の被害に遭った滑川市の50代パート女性が、だまし取られた現金を取り戻そうと、現金自動預払機(ATM)の振り込み控えに記された片仮名の名義人を相手に提訴したところ、富山地裁(剱持淳子裁判官)に「氏名や住所を特定していない」として〝門前払い〟され、即時抗告していた訴訟で、名古屋高裁金沢支部(安江勤裁判長)は5日までに、「預金口座を開設した人物を被告として提訴したことは明らか」とし、地裁の命令を取り消す決定をした。
 安江裁判長は「被告の特定について困難な事情があり、原告が被告の特定について可能な限り努力していると認められる例外的な場合には、調査嘱託などをすることなく、直ちに訴状を却下するのは許されない」と決定理由を述べた。さらに、裁判所がその職権で銀行側に照会すれば「住所、氏名(漢字)が明らかになると予想できる」としている。
 女性の代理人によると、こうした高裁判断は初めてで「振り込め詐欺の被害者救済に道を開く判断」と話している。
 今後は、富山地裁が訴状送達などに必要な被告の住所、氏名などを銀行側に照会し、審理が始まる見通し。
(北日本新聞2005年1月6日付け*2より抜粋)

 このように“匿名の影に隠れた加害者”に対する追及は、差別事象に限らず難題となっているわけで、訴訟において公的機関の資料を簡便に利用できるような制度を導入することは必要なことだと思います。
 ただ、人権委員会の勧告は被害者にも通知されますから(法案第60条第3項)、被害者が訴訟を起こす手がかりを掴めないわけではなく、提訴を行ってから裁判所に調査嘱託をするよう求めればよいのではないかと思います。これは「提訴前の公表」と同様、「どちらでもいいではないか」という話なのかも知れませんが、少なくとも提訴前に資料閲覧ができなくても被害者の権利行使を不可能とするものではないと考えます。

<公的紛争処理と私的交渉>

 さて、なぜここまで訴訟にこだわるのかと申しますと、

 こうした法律間の比較でなく人権擁護法案の条文を読んでも、同様の解釈が可能です。まず「権利の行使」ですが、不当な行使を法律が認めるわけがありませんので(わざわざ「当該被害者の権利の『正当な』行使」と規定しなくとも、そうとしか解釈できないに決まっているということです)、ここでいう権利の行使にいわゆる糾弾等が含まれないのは自明です。(Bewaad Institute @Kasumigaseki 2005年3月24日付エントリー*3より抜粋)

と仰る部分について、私が不安(偏見?)を抱いているからです。
 紛争がすべからく公的機関による処理に委ねられるということはありえませんし、非公式な交渉と公的な紛争処理を行ったり来たりしながら、落ち着くところに落ち着くというのが、紛争解決というものなのでしょう。
 いわゆる“糾弾”が「正当な権利行使」とは言えない場合が多く見受けられる点については、法務省も人権擁護局総務課長通知「確認・糾弾会について」(平成元年8月4日)において明言しているところですが、だからといって“糾弾”がなくなり、差別事象が相対交渉を踏まえることなくポンと公的紛争処理の手続に乗ってくるというのも考えづらいわけです。このとき、「何が正当な権利行使か」「違法な糾弾と穏当な相対交渉の境目は何か」という問題に突き当たります。
 例えば貸金業法第21条には次のような規定があります。

第21条 
 貸金業を営む者又は貸金業を営む者の貸付けの契約に基づく債権の取立てについて貸金業を営む者その他の者から委託を受けた者は、貸付けの契約に基づく債権の取立てをするに当たつて、人を威迫し又は次の各号に掲げる言動その他の人の私生活若しくは業務の平穏を害するような言動により、その者を困惑させてはならない。
 6.債務者等が、貸付けの契約に基づく債権に係る債務の処理を弁護士若しくは弁護士法人若しくは司法書士若しくは司法書士法人(以下この号において「弁護士等」という。)に委託し、又はその処理のため必要な裁判所における民事事件に関する手続をとり、弁護士等又は裁判所から書面によりその旨の通知があつた場合において、正当な理由がないのに、債務者等に対し、電話をかけ、電報を送達し、若しくはファクシミリ装置を用いて送信し、又は訪問する方法により、当該債務を弁済することを要求し、これに対し債務者等から直接要求しないよう求められたにもかかわらず、更にこれらの方法で当該債務を弁済することを要求すること。

 貸金の返済を求めるのは「正当な権利行使」には違いないのですが、ともすれば穏当な相対交渉の閾を超え恐喝まがいの所業に堕してしまうということは充分ありうることです。これは貸金をめぐる紛争に限った話ではなく、たいていの紛争にあてはまることではないかと思いますが、とりわけ差別事象においては法務省が「相対交渉が不当な権利要求に成り下がっている場合が多い」と認め、被差別者団体も糾弾への公的機関の介入に反対しているという事情が、私の「安易に国家機関が“差別にあたる”という認定を行い、それを“お墨付き”として相対交渉の場で利用されること」への抵抗感や「国家機関の“お墨付き”が暴力的な糾弾を正当化することになるのでは」という心配の源となっているのです。
 貸金業法のように、紛争当事者のどちらかが公的紛争処理機関の利用を申し出た時点で相対交渉のチャネルが閉じられ、公的紛争処理の手続の中で交渉が行われるという保証が法案に組み込まれているのであれば、反対論者の大半は強硬姿勢を弱め、あとは「人権委員会の政治的中立性」に論点が集約されるような気がします(法案推進論者もかなりトーンダウンすることでしょうけど)。

<まとめ>

 というわけで、

  1. 人権委員会が勧告を行ったことを差別被害者に通知するのだから、被告が特定できないために提訴できないということはないのではないか。
  2. 相対交渉も「正当な権利行使」に含まれる余地がある以上、“糾弾”に利用される虞なしとは言えないのではないか(これについては、提訴後にも糾弾される虞があるのだから考える必要がないと言われてしまうかも知れませんが)。
  3. せっかく公的紛争処理(訴訟・仲裁・調停)の活用を狙っているのだから、もう一歩踏み込んで「公的紛争処理手続の進行中は相対交渉を制限する」ことを明記すれば、法案に対する支持も多少増えるのではないか。

という感想を抱いた次第です。
(ただ、貸金トラブルのような利益紛争とは違い、差別事象のような権利紛争は相手と直接対話することで相互理解を深めることが解決の本筋と考えられるので、相対交渉を極端に制限することは真の差別問題解決を妨げるのではないかという疑問も当然出てきますし、そもそも多様な紛争について一律に相対交渉を制限できるのかという問題もあります。法案第62条第3項の用途制限が相対交渉を規正する方向に働くのであれば、それでよいのかなと思いますが、この条文にそこまでの意味を持たせられません。この問題、難しいです。)