人権擁護法案検討メモ―雑感

 人権擁護法案を自分なりに読み解く試みをここしばらく続けてきたわけですが、今回は感想めいたことを少し。

 法律とは立法者の意思の表明であり、それゆえに法解釈とは立法者の意思を解明することに尽きるという考え方は、“立法者意思説”といって昔からあったものです。“立法者意思説”の立場からすれば、法律の文言が何を意味しているかは、その法律の制定者が立法段階においてどのような意図をもっていたかということであり、法律の適用者(行政府や司法府)は、個別の事件処理に際して立法者の意図を汲み取った上でそれに従い判断を下すべきである、ということになります(ものすごく乱暴なまとめ方ですが)。
 この“立法者意思説”に対して伝統的に対置されてきたのが“法律意思説”です。これによれば、法律はその制定と同時に立法者の手を離れ、独立したテキストであるということになります。したがって法解釈の目標は、立法者の意図を汲み取るのではなくその法律が法体系全体の中で占める位置や、それが果たすべき社会的機能を解明することになります。
 人権擁護法案をめぐる議論を振り返ると、反対論者と推進論者の議論のすれ違いは、それぞれが“特殊な立法者意思説”と“形式的な法律意思説”という異なる立場から論じているから生じているのではないかという気になってきました。
 
 なぜ“特殊な立法者意思説”と申し上げたかといいますと、反対論者の指し示す“立法者”が通常の理解とは違っているように思われるからです。一般には“立法者”とは議会を指し、“立法者意思”とは議会本会議や実質審議を行った議会委員会の議事録から抽出されるものとされておりますが、本法案はまだ国会に上程されているわけではありませんので、分析の対象は与党法務部会の質疑(非公開であるのが残念ですが)ということになります。しかし反対論者はそこからさらに推進派議員を動かしている(と推測される)圧力団体の見解まで分析の対象とし、反対の根拠としています。ここまでくると通常の意味での“立法者意思説”ではなく、“特殊な”立法者意思説ということになるでしょう。法律の適用者が圧力団体の見解を“立法者意思”として参照するということは考えにくいですから、反対論者が“特殊な立法者意思説”に立ち圧力団体の見解を根拠に法案の危険性を唱えてもなかなか説得力を持ち得ないということになります。
 他方、なぜ“形式的な法律意思説”と申し上げたかといいますと、推進論者はこの法律がどのような社会状況において解釈されるのかをわざと考えまいとし、現行法体系との整合性のみ重視しているように思われるからです。法案成立後に何が起こるか合理的範囲内で想像力を働かせず、ただ「違憲/違法ではない」と繰り返していても、「政策としての妥当性」を反対派に納得させることはできないでしょう。
 
 「現行法体系に整合していること」はクリアしなければならない最低限の基準なのですから、それだけでは積極的に法案成立を推進する動機の説明にはなりません。法案推進派はもう一歩進んで「数ある選択肢の中でなぜこの法案のような制度を選んだのか」を説明しなければならないはずですが、今のところそこまで積極的な推進論を唱えているブログにお目にかかったことがありません。法案を読み解く努力をもう少し続けながら、議論の推移に注目したいと思っている次第です。