井上判事再任問題・2

 前回のエントリーで「井上薫判事問題」について、思いつくままに書き綴りましたところ、お読みになった方から「もう少し丁寧に書いたほうがいい」とのアドバイスをいただきましたので、再度本問題について書きたいと思います。

「再任」とは何か

 まず、裁判官の「再任」について概観します。
 我が国の下級裁判所裁判官は、司法修習を終えた者の中から任命された判事補と、判事補、簡易裁判所判事、検察官、弁護士、裁判所調査官などといった職に10年以上就いていた者から任命される判事から構成されます(裁判所法42条、43条)*1
 任命された裁判官は、その身分を手厚く保障されており、裁判により心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されないこととされていますが(憲法78条)、他方任期は10年と限られており、10年毎に内閣によって再び任命される(再任)という形をとっています(憲法80条1項)。

 この「再任」規定につき、『基本法コンメンタール 憲法』では、以下のように解説されています。

 日本国憲法の基礎になったマッカーサー草案から、法曹一元制の理念を読み取り、「再任」とは「新任」と同じで、再任するか否かは指名権者たる最高裁判所の(つまり、裁判官会議の)自由裁量事項だとする学説(A)がある(田中英夫アメリカの裁判官と日本の裁判官」ジュリスト480号)。なるほど、「任期」という言葉からすれば「裁判官の首は〔それが〕満了したときはその時に切れる」(柳瀬良幹「裁判官の任期と再任」ジュリスト480号)。しかも、憲法にも裁判所法にも、再任するかしないかについての実体的基準がないのだから、それは最高裁判所のほうからみれば自由裁量だというのも一理あるように思われる。だが、この問題を裁判官のほうからみると、再任されたり、またはされない人は新任ではなく、その時まで10年あるいはその数倍の間裁判官として生活してきた人であり、不再任は罷免=免官に等しい。このA説は「任期」「再任」の字義に忠実であるが、「再任されることができる(with privilege……)((All such judge shall hold office for a term of ten years with privilege of reappointment ――「再任の特権をもつ」))というのは、まさに再任を希望する側からの文体であるという指摘(高田敏「司法修習生罷免および裁判官再任拒否の法解釈」法律時報43巻8号)に照らすと、文理解釈という点からの難点がある。
(『基本法コンメンタール 憲法』(第4版)日本評論社327頁)

 これを読むと、「再任されることができる」という規定について、「裁判官の再任・不再任は最高裁の自由裁量である」という解釈と、「裁判官は原則として再任されるべきである」という解釈があるということですが、私は後者の解釈を支持します。
 その理由として、さしあたり次の3点を挙げさせていただきます。

  1. 再任・不再任の判断が指名権者の自由裁量であるとすると、憲法78条で裁判官に対しわざわざ特別な身分保障をしていることの意味が喪われるのではないか。
  2. 下級裁判所裁判官の任期10年は、最高裁裁判官の国民審査に対応しているものと理解されるところ*2最高裁裁判官については定年にいたるまで身分が継続することを前提としているのに対し*3下級裁判所の裁判官に「再任の原則」を認めないとなると、全ての裁判官に同等の職権の独立を認めている憲法の基本原則に照らして著しく均衡を欠くのではないか。
  3. 日本国憲法制定時に法制局が作成した「憲法改正草案に関する想定問答」において、「我が国ではすべて専門の裁判官である実情に鑑み、10年の任期は短きに失する。従って原則として再任すべきものとする。」としていること、また現行憲法を審議した第90回帝国議会貴族院*4において、佐々木惣一議員の「下級裁判所の裁判官は任期が10年で、再任されることが出来るとありますのですが、(中略)その再任が出来るか出来ぬかは、内閣の方で言う迄待って居なければならぬのですか、十年経ったらば再任を要求する‥‥再任を一つ出願して見ることが出来ると云うような、そう云う規定を仮に、この憲法で直すことが出来ないとすれば他の規定で設けると云うようなことはいけないものでございましょうか」という質問に対し、金森徳次郎国務大臣が「最高裁判所がどうするかと云うことは、相当これから裁判所の、いわば統一体と云うような原理に依って十分研究されることと思いますが、故なく再任を拒むと云うようなことはなかろうと思います」と答弁していることから窺い知ることができるように、立法者は「原則再任」と考えていたのではないか。

「再任の原則」の例外とは何か

 以上述べましたような理由から、私は「裁判官は再任が原則である」と考えているわけですが、次にその例外、すなわち「再任の拒否」はどのような場合に許されるかについて述べてまいります。
 まず、裁判官の身分保障と両立するものとして憲法上認められている「心身の故障に基づく執務不能」と「弾劾事由に相当する場合」(憲法78条)については、認められると考えてよいと思われます。
 問題は、この弾劾事由該当者・執務不能者とまでは言えない者を、「裁判官として職務遂行に不適格である」として不再任としてよいのか、という点です。

「不再任事由」の範囲

 これについて宮沢俊義は「(任期を定めた理由は)任命権者および補職権者が、・・・改めて自由に裁判官の選考および異動をおこなうことができ、従来裁判官であった者でも、著しく成績の悪い者をのぞくことができるようにすることにあると考えられる。」*5としており、佐藤功は「(不再任の対象としては)特別の事情にある者、例えば老齢の者や病気のためかねて辞意を表明していた者、あるいは懲戒処分をしばしば受け不適任であることが客観的に認められる者がこの機会に地位を失わしめられることは認められるが、その他不当な理由(たとえば裁判官の思想傾向を理由とするがごとし)によって再任せしめないことは認められない。」*6としています。
 不再任理由を弾劾事由該当者・執務不能者に限定してしまうと、憲法80条1項の定める「10年毎の再任」が全く意味を持たないことになってしまいます。また、10年毎のチェックを一切排除してしまうと、今度は10年毎に国民審査を受ける最高裁裁判官との均衡をかえって失することにもなってしまいます。したがって、「懲戒をしばしば受け不適任であることが客観的に認められる者」や「著しく成績が悪い者」を不再任の理由とすることには一定の合理性があると考えます。

再任手続はどうなっているか

 で、一体誰が、個々の裁判官を審査し、再任するにふさわしいか否か判断するのでしょうか。
 下級裁判所裁判官の指名=名簿作成は、司法に関する人事行政事務ですから、最高裁判所のおこなう「司法行政事務」として、その裁判官会議によるものとされています(裁判所法12条)。
 2003年5月から、「下級裁判所裁判官諮問委員会」(以下「諮問委員会」という。)が設置され、裁判官の再任・不再任についてはこの諮問委員会の答申に基づいて最高裁判所裁判官会議が判事指名簿を作成し、内閣に提出することとなりました。

手続の流れ

 まず、最高裁が、指名候補者の名簿及び略歴を記載した書面を諮問委員会に提出します。諮問委員会は、高等裁判所毎に設置された下級裁判所裁判官諮問委員会地域委員会(以下「地域委員会」という。)に、管内の指名候補者に関する資料を提供するとともに、指名の適否について慎重な判断を要すると考えられる者(重点審議者)について情報の収集を要請します。
 地域委員会は、指名候補者の現任庁に対応する検察庁弁護士会に対し名簿を提供し、所属の検察官、弁護士個人からの情報を地域委員会が直接受け付けるという方法などにより、調査結果を諮問委員会に報告します。
 諮問委員会は、地域委員会から提供された情報、最高裁から提供された資料等に基づき、重点審議者を中心に指名の適否を審議し、答申します。

指名方式

 最高裁は、諮問委員会の答申に基づき判事指名簿を作成します。最高裁は、諮問委員会の答申に反する指名をおこなうことができますが、そのときは諮問委員会に対し理由を通知する必要があるとされています(下級裁判所裁判官諮問委員会規則4条)。
 名簿の方式については特に規定はありませんが、1名の空席に対しては1名の候補者、数名の空席に対してはその同数の候補者を、予備候補ともいわれるべき者1名とともに指名するのが通例とされているようです。

内閣の任命

 内閣は、こうしてできあがった指名簿をもとに判事(補)を任命します。今まで内閣は、この指名に対して任命を拒否した例はないといわれています。また、「裁判所の恣意的な任命によって司法権の独立が害されてはならない」*7という理由から、法解釈上においても内閣の積極的な任命拒否権は認められないとされています。

井上判事は、明らかに「不再任が妥当」なのか

 井上薫判事が、「弾劾事由該当者」「執務不能者」「懲戒をしばしば受け不適任であることが客観的に認められる者」「著しく成績が悪い者」などに該当するのか否についてですが、井上判事の下した判決が上訴審判決中で「理由不備」と再三にわたり指摘され、そのことを理由に分限裁判で戒告等の処分をしばしば受けている事実があるというなら格別、単に一度非公式に上司から注意を受けたに過ぎないということであれば、「懲戒をしばしば受け不適任であることが客観的に認められる者」「著しく成績が悪い者」とまで言うことはできないように思われます*8

 今回、下級裁判所裁判官諮問委員会が井上判事を「再任不適格」と答申した理由について、現在のところ公式には明らかにされていません。また、再任手続に関する規定の中に、審議対象者本人に対する理由の告知、聴聞および弁明の機会について定めたものが全くないことは前述のとおりです。では、井上判事は自らが「再任不適当」とされた理由をどうやって知り、またその判断に対する不服をどうやって申し立てることができるのでしょうか。

 次回は、「不再任に対する救済の可能性」について、検討したいと思います。

*1:それに、判事補等の職に3年以上就いているか、長年司法事務に携わり、選考試験に合格した者の中から任命された簡易裁判所判事がいます(裁判所法44条)

*2:宮沢俊義日本国憲法有斐閣661頁

*3:最大判昭和27年2月20日

*4:昭和21年9月23日帝憲法改正案特別委員会

*5:宮沢俊義日本国憲法』661頁

*6:佐藤功憲法』(ボケット註釈全書)有斐閣474頁

*7:佐藤功・前掲書1031頁

*8:再任・不再任が全くの自由裁量であるとしても、憲法の建前に反する判断基準に基づく不再任は裁量権の乱用に当たるでしょう。そして、理由が明らかにされない限り、裁量権が適正に行使されたか否かは不明なままになってしまいます。

再開

 一身上の都合から、日記の更新及びコメント欄管理がままならなくなりましたので、一時休止しておりましたが、本日よりぼちぼち再開したいと考えております。

 さて、休止中には総選挙があったりイラク派遣延長があったり教団改名があったりと、なかなか慌しかったのですが、ここでは「井上薫判事不再任問題」について少し考えたいと思います。

はじめに

 ええと、まず、本稿ではとりあえず井上判事に対する評価は行いません。では、何を考えるかといいますと、

 「判事不再任って、なに?」

という点についてです。

下級裁判所裁判官諮問委員会

 まず確認ですが、下級裁判所の裁判官の任命は,最高裁判所が指名した者の名簿によって内閣が行うこととなっています(憲法80条1項)。
 で、この「最高裁が指名した名簿」に登載すべきか否かについて検討し、その結果を最高裁に答申するのが、平成15年度から設置された「下級裁判所裁判官指名諮問委員会」(以下「諮問委員会」という。)です。
 ところで、最高裁による判事(補)指名は、この諮問委員会答申に必ずしも拘束されるものではありません。このことは、諮問委員会規則4条において、「(諮問)委員会が指名することは適当ではない旨の意見を述べた指名候補者を指名したとき」は「その決定の理由をも委員会に通知する」と規定されていることからもわかります。

 さて、今回の諮問委員会による「再任不適当」の答申ですが、これは前述のとおり単なる「意見」であり最高裁の判断を拘束するものではありませんので、取消訴訟や不服審査の対象にはなりえないと考えられます。では、その答申を受けておこなわれる最高裁の「判事指名簿不登載措置」はどうでしょうか。

「名簿不登載」は処分か

 最高裁は、いわゆる宮本判事補再任拒否事件において、宮本判事補がおこなった判事指名簿不登載処分の取消を求める異議申立を「判事指名簿に登載しなかったことは、行政不服審査法に基づく異議申立ての対象となる行政庁の処分にあたらない」として却下しています*1
 「判事指名簿に登載しないこと」が行政庁の処分に当たらないことの理由について最高裁は(井上判事ばりに)何も述べてくれていません。したがって、「処分にあたらない」ことについてのハッキリした根拠は不明です。
 根拠は不明ですが、おそらく、「最高裁による判事指名簿登載/不登載行為は、内閣のおこなう判事任命の前段階であり、最高裁内部の意思決定に過ぎず、法律上の効果を有するものではない」といったところではないかと推測します。
 しかし、再任指名は内閣を拘束し、内閣はそれを尊重して再任を行わなければならないので、再任指名行為は再任行為を待つまでもなく、相手方の具体的権利義務の変動を及ぼすものとして解することができるのではないかと思われます。相当程度の確実さをもって保険医療機関の指定が受けられなくなることを理由として病院開設中止勧告の行政処分性を認めるなど*2、近年最高裁は処分性の有無について広く解する方針を維持しているようですが、「判事指名簿不登載」の処分性についてどのような判断を示すのか、興味深いところです*3

「被告:最高裁」?

 さてさて、このまま井上判事の名前が再任指名簿に登載されず、これを不服とした井上判事がトコトン法廷闘争に出たときどうなるのでしょう。もしも本件が訴訟となり、最高裁にまで持ち込まれたときには、当然「除斥・忌避」の問題が発生します。

 「除斥・忌避」とは、具体的な事件において裁判官が事件あるいはその当事者等と特別な関係がある場合に、その裁判官を個別事件の職務執行から排除することによって、裁判の公正を保ち、更に進んで、裁判の公正について国民の信頼を得るために定められた制度です。
 除斥(民訴23条)は、一定の事実(除斥原因)があれば、裁判官が法律上職務の執行から当然に排除されるとするものです。この除斥原因には、

1 裁判官又はその配偶者若しくは配偶者であった者が、事件の当事者であるとき、又は事件について当事者と共同権利者、共同義務者若しくは償還義務者の関係にあるとき。
2 裁判官が当事者の4親等内の血族、3親等内の姻族若しくは同居の親族であるとき、又はあったとき。
3 裁判官が当事者の後見人、後見監督人、保佐人、保佐監督人、補助人又は補助監督人であるとき。
4 裁判官が事件について証人又は鑑定人となったとき。
5 裁判官が事件について当事者の代理人又は補佐人であるとき、又はあったとき。
6 裁判官が事件について仲裁判断に関与し、又は不服を申し立てられた前審の裁判に関与したとき。

 の6つが列挙されています。

 「忌避」(同24条)は、当事者の申立てに基づき、除斥原因がなくても裁判の公平を妨げるような事情がある時に、裁判によって裁判官を職務執行から排斥できるとするものです。ここでいう「裁判の公正を妨げるべき事情」とは、「通常人の目からみて不公正な裁判がなされるのではないかとの懸念を抱くに足りる客観的な事由をいう」とするのが通説です*4。この「不公正な裁判がなされるのではないかとの懸念」は、そのような懸念を生じさせる客観的事由の存在が認められれば、現実の不公正の存在を問わず、忌避原因があることになります*5

 判事指名簿への登載/不登載の決定は最高裁判所裁判官会議の議決によりますから、処分庁と当該訴訟の終審裁判所とが(観念上は別個といい得るとしても事実上は)同一ということになるわけで、少なくとも不登載決定に関与した最高裁判事には、除斥原因ないし「裁判の公正を妨げるべき事情」が存在すると考えることができるように思われます。
 もっとも最高裁は、地家裁支部の廃止を定めた最高裁判所規則の取消を求めていた上告人が、当該最高裁規則の制定に関与した裁判官の忌避を申し立てた事件につき、

「本来、最高裁判所最高裁判所規則を制定するとともに、これをめぐる訴訟の上告事件を担当することは、現行司法制度上予定されているというべきであり、そうであれば、同訴訟において、同規則の制定に関する裁判官会議に参加したということを理由に、同会議に参加した最高裁判所の裁判官について民訴法三七条一項に基づき忌避の申立てをすることはできないと解するのが相当である。」

 として、その忌避申立を却下していますので*6、本件が最高裁に持ち込まれたとしても、判事指名簿不登載を決めた判事が除斥/忌避されることはないだろうと推測されます。

「不再任」でよかったのか

 どうも私には、井上判事に本当に報道されているような事情(理由不備を繰り返しているなど)があり、それが看過できないほどであるというのであれば、再任/不再任の問題とせず弾劾の対象として取り扱うべきであったのではないかと思われるのですが、どんなもんでしょうかねえ(あるいは今後の課題として、不再任に対する不服審査を弾劾裁判所が行なうものとするよう法改正をおこなうとか)*7

 本件は井上判事の個性を強調した報道がなされておりますが、今年は井上判事のほかに3名の不再任(予定)者がいらっしゃるようですし、昨年、一昨年においても複数の判事(補)が再任不適当の答申の対象となっています。その方々が一体どのような理由で「不再任が適当」とされたのか、不再任の答申に至るまでにどのような審議がおこなわれ、当事者に充分な弁明の機会が与えられていたのかなどほとんど明らかにされず、不再任の実績だけが積み重なっていく状況は、あまり健全とはいえないように思われましたので、こうして取り上げたみた次第です。

*1:最決昭和46年9月8日

*2:最ニ小判平成17年7月15日

*3:ところで井上判事は12月21日声明を発表なさり、その中で「内閣は憲法上、最高裁の判事指名簿に登載されない者であっても判事に任命できる」と主張なさっておられるようです。それはそれで一つのご見解ですが、最高裁による再任指名行為と内閣による再任行為を切り離してしまうのは、憲法80条1項の趣旨に照らして無理があるように思われます。

*4:新堂幸司・小島武司編『注釈民事訴訟法』330頁

*5:畦上英治「忌避試論」『法曹時報』13巻1号15頁

*6:最決平成3年2月25日

*7:もっとも、不再任の要件を厳格にしすぎると、じゃあ何のために10年毎の任期制をとっているのか、という疑問が出てきます。

アレフ信者転入届不受理事件は“差別問題”か

はじめに

 最近よく拝見しているブログ「世界の中心で左右をヲチするノケモノ」で、管理人であるplummet氏が次のようなコメントを残しておられました。

plummet氏
差別の例は、ようするに「人を見て判断しない」ことにポイントがあるのだと個人的には解釈しています(ただし歴史的なものではなく、現代の我々の立場からした解釈)。要するに、一部の「少数派」集団の、さらにごく少数だけをサンプルに、その集団全体を断じるような行為ですね。感覚として。
 多数のサンプルがあって、「明らかにおまいらおかしくね?」と言えるなら、ある程度「合理的」と言えるかもなぁ、という。ただし、その国で生活するのに最低限度必要なサービスでは、その合理性の壁は高くなると思いますけども(例・オウム(アーレフ)信者の住民票受理・不受理)。

 アレフ信者が提出した転入届の受理を拒否した自治体の行為は、数多くの裁判で「違法」と認定されています(最一小判平成15年6月26日、名古屋高判平成14年10月23日、大阪地判平成14年11月7日、さいたま地判平成15年1月22日など)。
 しかし、裁判所が転入届不受理処分を違法としたのは、アレフ信者の人権を重視したからなのでしょうか。
 これについて検討するために、「アレフ信者の転入拒否をめぐる紛争」の推移について、少し整理してみたいと思います。

“合法性”と“民意”の間で

 では、世田谷の事件(住民票消除処分の執行停止決定をめぐる紛争)を例にとって、少し順を追って見てみましょう。*1

 紛争の発端は、暮れも押しせまった平成12年12月19日のお昼休みの出来事からでした。

 宗教団体アレフアレフ)の信者13名は、平成12年12月19日午後0時ころから0時20分ころまでの間に、世田谷区内の12の出張所において、ほぼ同時に、かつ、分散して、世田谷区南烏山<番地略>所在の甲マンション又は世田谷区南烏山<番地略>所在の乙マンション(以下、本件各マンションという)に転入したとして、世田谷区長に対し転入届を提出した。
 各出張所の担当者は、各転入届に基づいて、同日、各人の住民票を調製して、住民基本台帳法への記録を行った。
 このうち経堂出張所の担当者は、ほぼ同一時刻に、二名のものが別々に、甲マンションへの転入届をしたことに疑問を抱いて調査したところ、上記のとおり、他の11箇所の出張所でも同様の転入届がほぼ一斉に行われていることが判明した。そこで、転入先を管轄する烏山総合支所の職員が同日午後3時45分ころ、確認のために本件各マンションを訪れて、マンション所有者から事情を聴取した結果、アレフとの間で賃貸借契約を結んで、その信者を各マンションに居住させる計画であり、すでに数名が転居してきているほか、今後も居住者は増える予定であることが判明した。

 この出来事に対し、世田谷区の対応はすばやいものでした。

 そのため、世田谷区長は、本件各マンションがアレフの教団施設となる蓋然性が高いと判断して、同年12月21日、区長を本部長とする「世田谷区オウム真理教(現アレフ)対策本部」を設置するとともに、オウム真理教の信者からの転入届については拒否する旨定めた平成11年9月9日付のオウム真理教に対する基本方針に従って、信者らについての住民票の調製はこれを無効のものとして取り扱うこととし、これを破棄して住民基本台帳の記録から抹消するとともに、各転入届を不受理扱いすることを決定した。
 そして、平成12年12月22日、世田谷区の職員らが、本件各マンションを訪れて、在室した者に対して上記決定をした旨口頭で告知し、同月25日にはあらためて13名全員に対して無効等通知文を郵送した。

 世田谷区内には以前オウム真理教の教団施設が存在していたこともあり、かねてより

  1. 転入届を受理しない
  2. 区の管理する施設を利用させない

ことなどを中心とする「オウム真理教に対する基本方針」を定めておりましたので、これに従い上記のような対応をとったわけですが、当の世田谷区はこの「転入届不受理(ないし住民票消除)」をどのように考えていたのでしょうか。この事件の前年である平成11年10月15日の世田谷区決算特別委員会の議事録を見てみましょう。

平成11年  9月 決算特別委員会−10月15日-08号
◆荒木 委員 
 よその区では転入届不受理ということを打ち出しているということですが、区の取り組みはどのようになっておりますか。
◎宮崎 総務部長
 今お話がありましたように、各自治体で今、オウム真理教対策ということで大変頭を痛めているような状況もございます。世田谷区におきましても、既に明らかにしておりますように、転入については拒否をしていく、施設の利用等について申し込みがあった場合にも、これは貸し出しをしないというようなことを方針として決めております。
 一連の裁判等でも明らかになっておりますように、大変人権を無視した、そして残忍な行動を繰り返してきた団体ということでございますので、こうした団体が、例えば世田谷区内に活動拠点を設けるというようなことになりますと、住民の不安というものは大変なものであろうというふうに思います。そうしたことを未然に防ぐという意味で、いろいろな法律的な問題等はあるわけですけれども、区としてこういうふうな対応をしてきております。
 現在、こういうふうなことにつきまして、自治体の中ではいろいろ手詰まり状態というような状況もございまして、国には実際にもう動きが出ているようですけれども、国政レベルで何らかの対応をしていただけたらというふうにも考えております。
◆荒木 委員
 どの人がオウムでどの人がオウムじゃないか、ちっともわからないような状況の中で、団体はわかるかもわかりませんが、それを不受理、貸さないということの仕分けは非常に難しいことだろうと思いますけれども、ひとつ粘り強く、区民が安心できるようにやっていただきたいなとお願いをしておきたいと思います。

「いろいろな法律的な問題等はあるわけですけれども」「自治体の中ではいろいろ手詰まり状態」といった総務部長答弁からわかりますように、区は、転入拒否や施設利用拒否などといった対応が「違法にあたるのではないか」という疑念を拭い去れておりませんでした。
 いや、もっと言えば、世田谷区は「転入届の受理を拒めば違法と見做される見込みが極めて高い」と考えていたはずです。なぜなら、この答弁が行われる約6年前の平成5年、オウム真理教信者の転入届の不受理の当否が争われた事件で熊本地裁は「現に転入地に居住し転入地を生活の本拠としている以上、(中略)その余の事情を斟酌することなく転入届を受理すべき」であると判示し、転入届の受理を拒んだ自治体側の主張を全面的に退けていたからです(熊本地判平5・10・25日)。

 自治体は、“合法性の貫徹”を優先するならばアレフ信者の転入を認めざるを得ない、さりとて「住民の安全、住民の不安払拭」という“民意の実現”を捨て去ることもできないというジレンマに立たされておりました。

「公共の福祉」の内実をめぐって

 自治体の首長や地方議会の議員が自らの立場を「住民から直接選挙によって選出された存在」であると正しく理解している以上、“民意の実現”をあきらめて“合法性の貫徹”を選ぶ決断を行うのは、容易なことではありません。自治体は、圧倒的多数の住民が強く要望するものであれば、たとえ司法によって違法と認定される見込みが高いと認識していてもあえて“民意の実現”に沿った行動をとることも可能性としては否定できませんし、実際に世田谷区をはじめとする多くの自治体は、アレフ信者の転入届について(違法と認定されるであろうことを承知した上であえて)不受理としたのです。

 「アレフ信者の転入届に対しては受理を拒む」旨の方針を定めた自治体は全国で110を超え、実際に11自治体が延べ141名の信者に対して転入届の受理を拒み、これを不服とする信者らから不受理処分の取消を求める訴えが提起されました。

 この事態に対し、国はどう考えていたのでしょうか。
 次の国会答弁をご覧下さい。

 第145回 参議院地方行政・警察委員会 (平成11年7月29日)
○魚住裕一郎君 
(略)
 日本国じゅうどこの公共団体も受け入れ拒否ということになったら、まさにたらい回しというか、海外に出ていけとしか言えないような状況になってしまう。村八分でも人権侵害だけれども、海外追放みたいな形になるとさらに大きな問題になるんではなかろうか。
 私も、この点について制度のあり方も含めて種々どうやればうまく解決できるのか、またオウム関連の問題についてどうすれば地元の地域住民の方々の不安を抑えながら解決できるのか悩んでいるところでございますが、いまだに私自身もいい解決策が思い浮かばないところでございます。
 この不受理の案件につきまして、自治省としてどんな対応をされておられるのか、ちょっとそこのところを御説明いただきたいと思います。大臣、よろしくお願いします。

国務大臣野田毅君)
 御指摘のとおり、大変悩ましい事件であることは事実でございます。
 今、具体的にそれぞれ三和町あるいは大田原市において転入届の不受理を決定し、それぞれ異議申し立てがなされ、それに対する棄却、その結果、三和町に関連しては茨城県に審査請求書を提出した、大田原市の方は、不受理の決定の結果、異議申し立てが行われているという今状況にあるわけです。
 この異議申し立てに対する判断あるいは却下の判断というのが、居住の自由について憲法第二十二条においては「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。」ということを述べ、同時に地方自治法第二条第三項第一号において地方公共団体の事務として「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持すること。」、こう書いてある。したがって、地域住民の不安や地域秩序を理由に不受理としたのである。町では、これはかつて凶悪事件を起こした団体で、かつその後においても根本的脅威をなお維持している団体に所属する者の転入届である、こういうかなりそれなりの論拠を明らかにしながら述べておられるわけで、憲法で言う公共の福祉に反しない限りという趣旨をどういうふうに解釈するかということは別問題として、いろいろ自治体において本当に考えて、苦労しながらこの問題を取り扱い、そういう御判断をされたものだと考えております。
 この点で自治省として、確かに住民登録という制度そのものからすると大変悩ましい問題でありますが、一方で住民あるいはその意向を受けた自治体がじゃ素直に転入届を受理していいのかということになると、なかなかそうはいかないというせっぱ詰まっている状況もわからぬではないんで、率直に言ってこのあたりは自治省としても悩ましいことであるというふうには思っております。
 いずれにしても、これは本当は政府だけでできるのかどうか、今超党派で、国政全体の中で党派を超えていろいろオウムに関連する取り扱い、破防法の適用あるいは改正、いろんなことを含め、今御指摘の問題をも含めてどう対応するか。本当は国の方においてきちんとした方向性を出してあげなければ、地元自治体としては自分たちだけではどうにもならぬというせっぱ詰まった環境にあるというふうに私は認識しておりまして、そういう中でのやむにやまれぬ判断の結果であるというふうに考えておりますので、ここは私どももいろいろ知恵を出していきたいと思いますが、ぜひ先生方におかれましても、この問題を単に行政サイドの問題だということだけではなくて、やっぱり立法府においてどう対応するかということもあわせて、一緒になって本当にきちんとした対応ができるようによろしくまた御指導もお願いを申し上げたいと思います。

○魚住裕一郎君
 先ほど申し上げましたように、私もその点本当に、これはオウムの問題というよりも、今の質問の趣旨は、住民基本台帳のあり方論としてずっとお聞きした次第でございますが、一緒になって悩んで何とか解決を図りたいと思うんですが、ただ、そうなりますと住民基本台帳に記載のない住民というか国民というか、公共の福祉の関係でその存在を自治省は許しているというふうに理解していいんですか。

国務大臣野田毅君)
 許しているということではございませんので頭が痛いと実は申し上げたわけでございます。
 やはり日本人である以上、少なくとも国内のどこかの市町村に住所を持ち、海外に行かない限りどこかで住民登録が行われるというのは当然の私は姿であると思っています。
 そういう点で、転出届だけが受理されて転入届が受理されないということでは困るので、転出届も受理されないということであるならばまたこれはこれで一つの考え方だと思うんですが、そういったところをどういうふうに整理するか、ちょっと勉強させていただきたいと思っております。

 ずいぶん長い引用になってしまいましたが、要するに国は

 「どこの自治体の住民基本台帳にも記載されていない国民の存在を国は許していない。従って、転入届の不受理処分は法の趣旨にも公共の福祉にも反する」

と考えていたということです。(しかしまあ、歯切れの悪い答弁ですね。)

 自治体は、「アレフ信者の集団転入阻止」こそが“民意”であり、それを実現することが自らに課せられた責務だと考えていました。国は、「どこかにアレフ信者を引き受けさせざるを得ないのであって、自治体による転入拒否は許されるべきではない」と考えていました。そしてアレフ信者は、居住・移転の自由は自らに認められるべき権利だと考えていたのです。

 “国家レベルでの公共の福祉”と“地域レベルでの民意の実現”との乖離によって生じた「転入拒否問題」は、アレフ信者の提訴によって法廷に持ち込まれることになりました。

 この事件を“地域レベルでの民意の実現”と“国家レベルでの公共の福祉”の対立として捉えた裁判所は、当然“国家レベルでの公共の福祉”を優先させました。実際、数多くの訴訟で自治体側敗訴の判決が下されたわけですが、ここでは最高裁判決の判決理由を見てみることにします。

 住民基本台帳法に関する法令の規定及びその趣旨によれば、住民基本台帳は、これに住民の居住関係の事実と合致した正確な記録をすることによって、住民の居住関係の公証、選挙人名簿の登録その他の住民の事務の処理の基礎とするものであるから、市町村長(地方自治法252条の19第1項の指定都市にあっては区長)は、住民基本台帳法(以下「法」という)の適用が除外される者以外の者から法22条(平成11年法律第133号による改正前のもの)の規定による転入届があった場合には、その者に新たに当該市町村(指定都市にあっては区)の区域内に住所を定めた事実があれば、法定の届出事項に係る事由以外の事由を理由として転入届を受理しないことは許されず、住民票を作成しなければならないというべきである。
 所論は、地域の秩序が破壊され住民の生命や身体の安全が害される危険性が高度に認められるような特別の事情がある場合には、転入届を受理しないことが許される旨をいうが、実定法上の根拠を欠く主張といわざるを得ない。
 以上と同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は採用することはできない。
(最一小判平成15年6月26日 判時1831号94頁)

 この判決理由を読めば、最高裁アレフ信者の人権(居住・移転の自由)に一切触れておらず、あくまでも「住民登録の統一的処理」という国家秩序の回復(=国家レベルでの公共の福祉)に重きを置いていたことがよくわかります。

まとめ

 以上、「アレフ信者に対する転入拒否」について述べてまいりましたが、まとめとしては

 地域共同体の危機に際して、自治体は後に司法によって違法とされることを充分認識した上で、あえて“民意”に忠実な措置をとることがある*2アレフ信者の転入を拒んだ自治体の行為は、まさにそうした“民意”を優先した結果であった。
 このような措置をめぐる紛争は、「公共の福祉」や「正当事由」といった“一般条項”の解釈をめぐる争いとして法的紛争に転化し、裁判所に持ち込まれることになる。
 自治体敗訴判決は、国家機関である裁判所が自治体の主張する「公共の福祉」よりも国家というさらに大きな共同体にとっての「公共の福祉」を優先した結果であり、アレフ信者の居住・移転の自由を考慮したものではなかった。

 ということになるのではないかなあと思います。

*1:以下の事実関係は、東京地決平成13年2月16日にしたがっています。

*2:同じような事例として、「沖縄県知事による代理署名拒否」や「行政指導に従わなかったマンションに対する給水拒否」などがあります。

先送り。あくまでも先送りに過ぎませんが。

 とりあえずメモ。
 人権擁護法案の今国会での提出が見送りになったそうです。(Sankei Web 速報より)
 そりゃこのタイトな政治日程で、また郵政で与党内に不協和音が鳴り響いてるときに、わざわざ対立軸を増やすことはないですよねえ。

 私は人権擁護法案に反対ですから、どのような理由にせよ拙速な国会提出が行われなくなったことを歓迎します。

 法案をめぐる議論から、さまざまなことを学びました。個人的興味に限って言えば、改正行訴法を読み込むきっかけを得ることができたのは大きな収穫でした。

 この法案は、若干の修正を加えられた後またいずれ浮上してくるでしょうが(浮上すること自体はおそらく止められないでしょう。だって政府案なんですから)、そのときには今回の“議論の蓄積”を活かし、本来の論点である「(本来の意味での)真の人権擁護」についての議論が深められ、本法案に対してきちんと決着が付けられるよう希望します。

人権委員会の勧告は、公法関係確認訴訟で争えるか

 前回のエントリー

「やはり本年4月に施行された改正行政事件訴訟法、とりわけ「公法関係確認訴訟」がどの程度活用できるかを見極めることが必要となるのですが、本法案の法務省修正案にみられる「異議の要旨を併記する」ようなスタイルの「行政指導(勧告)」が、果たして「当事者間の法律関係に何らかの影響を及ぼすもの」と司法に評価されるのか、疑問を抱いています」

と述べたところ、bewaadさんから次のようなお答えをいただきました。いつもながら懇切なご回答をいただき、ありがとうございます。

この条文(引用者注:改正行訴法第4条)は「当事者訴訟」=「当事者間の法律関係を確認し又は形成する処分又は裁決に関する訴訟で法令の規定によりその法律関係の当事者の一方を被告とするもの」+「公法上の法律関係に関する確認の訴えその他の公法上の法律関係に関する訴訟」と解すべきなので、「本法案の法務省修正案にみられる『異議の要旨を併記する』ようなスタイルの『行政指導(勧告)』が、果たして『当事者間の法律関係に何らかの影響を及ぼすもの』と司法に評価され」なくてもよいわけです。

訴えの利益ですが、特別救済措置の名宛人になるということは、同時に第3条に違反した状態であるという認定がなされているということになりますから、もちろん第3条違反には罰則等はなく物理的な損失は生じないわけですが、法的なステイタスとして第3条の禁止規範に反しているかどうかの確定は意味があるのではないかと思う次第です。

 しかし私には、このbewaad氏のご見解に従えば「確認の利益」が広くなりすぎるのではないかと思われるのです。

 「確認の利益」は、

  1. 原告の法律上の地位に不安ないし危険が現に生じており(即時確定の利益)
  2. それを除去する方法として、原告・被告間で確認請求の対象たる権利または法律関係の存否について判決することが有効適切な場合に認められる(確認対象および訴訟形式の適切性)

ものとされています(最二小判昭和35年3月11日)。
 人権委員会の勧告は、当事者間の訴訟の中で事実上尊重されることはあっても既判力を及ぼすようなものではないため、結局のところ「単なる意見の表明」に過ぎません。ですから勧告それ自体が名宛人の法律上の地位に不安や危惧を生じさせるものと評価される可能性は低く、やはり勧告に後続する「公表」の効果に「確認の利益」を見出していくべきだろうと思うのです。

 さて、最高裁は長野勤評事件(最一小判昭和47年11月30日)で行政訴訟における「確認の利益」について次のように判示しています。

 義務違反の結果として将来何らかの不利益処分を受けるおそれがあるというだけで、その処分の発動を差し止めるため、事前に右義務の存否の確定を求めることが当然に許されるわけではなく、当該義務の履行によって侵害を受ける権利の性質及び侵害の程度、違反に対する制裁としての不利益処分の確実性及びその内容または性質等に照らし、右処分を受けてからこれに関する訴訟のなかで事後的に義務の存否を争ったのでは回復しがたい重大な損害を被るおそれがある等、事前の救済を認めないことを著しく不相当とするような特段の事情がある場合は格別、そうでないかぎり、あらかじめ右のような義務の存否の確定を求める法律上の利益を認めることはできない。

 人権擁護法案には、勧告の名宛人が当該勧告に従わなければ意見聴取を経て公表に到ると明記されているのですから(同法案第61条)、「不利益処分の確実性」については問題なく認められるでしょう。しかしその前に検討すべきなのは「勧告の公表」が不利益処分にあたるかどうかです。たしかに「公表」によって人の名誉や信用が毀損されるおそれがあることは明らかですので、不利益処分にあたるとされても全く不思議ではありません。
 しかし、「名宛人による異議の要旨を併記した上での公表」(同法案の法務省修正案)となるとどうでしょうか。

 「名宛人による異議の要旨をも併記した上での公表」を考えるうえで参考になると思われるものに、海難審判における「勧告裁決」があります。
 海や湖で起こった事故(海難)については、海上保安庁や警察、検察庁による捜査などとは別に、海難審判庁による調査や審判(海難審判)が行われることがあります。海難審判の対象となる者のうち海技免状を持っている乗組員や水先人は「受審人」、海技免状を持たない乗組員や船舶保有者、設計者等は「指定海難関係人」と呼ばれます。

 海難審判庁は、裁決を以って海難の原因が明らかにするのですが(原因解明裁決。海難審判法第4条第1項)、その海難が受審人や指定海難関係人の故意・過失による場合、受審人に対して業務の停止等の行政処分を行ったり(懲戒裁決。同条第2項)、指定海難関係人に対して是正措置を求める勧告を行ったりすることがあります(勧告裁決。同条第3項)。また勧告裁決については、勧告書の全文又はその要旨を官報及び高等海難審判庁長官の指定する新聞紙に掲載して公示されることとなっています(同法第62条第3項)。

 そして、海難審判法は「理事官又は受審人は、地方海難審判庁の裁決に対して、命令の定めるところにより、高等海難審判庁に第二審の請求をすることができる。」(同法第46条第1項)、「補佐人は受審人のため、独立して第二審の請求をすることができる。但し、受審人の明示した意志に反してこれをすることはできない。」(同条第2項)と規定し、理事官、受審人、及び受審人のためにする補佐人に第二審請求権を認めています。
 しかしながら指定海難関係人については、「勧告を受けた指定海難関係人は、理事官に弁明書を差し出すことができる。」(同法施行規則第77条第1項)、「理事官は、裁決確定の後前項の指定海難関係人の請求があつたときは、その弁明書を公示しなければならない。」(同条第2項)と規定するにとどまり、第二審の請求や取消訴訟等の提起ができるとは認めていません。

 このことは、

  1. 「海技従事者及び水先人を懲戒する裁決以外の裁決は、たとえ裁決中において指定海難関係人に対して不利な事実が認定されていてもそれは海難原因を明らかにするための一種の事実確認にすぎず、指定海難関係人等の権利又は法律上の利益を侵害するものではない」(最大判昭和36年3月15日
  2. 「反論の機会が与えられている以上、一方的な情報開示ではないのだから、風評被害という不利益は生じない。従って勧告裁決の公示は不利益処分と見做さない」

ということを示しているのではないでしょうか。

 そうであるならば、「異議・反論を併記するスタイルの公表は不利益処分にあたらない」ということになり、類似の制度である「人権委員会の勧告(法務省修正案)」に対する違法確認訴訟の途も閉ざされているのではないか、と思うのです。

 以上見てきましたことから、やはり

  1. 人権委員会の勧告は、それ自体では国民の具体的権利義務に影響を及ぼすものではないため、確認訴訟の対象とはなりえない。
  2. 勧告の公表まで含めて考えたとき、公表を不利益処分と捉えることで勧告に対する違法確認訴訟を認める余地が生まれてくるだろう。
  3. 勧告の公表にあたって異議の要旨を併記するとした法務省修正案では「公表の不利益処分性」が否定され、その結果勧告に対する違法確認訴訟がより認められにくくなるのではないか。

 という結論にたどり着くのですが、いかがなものでしょうか?

内閣法制局の「重み」

 Bewaadさんのところで私がコメントさせていただきました以下の疑問

何度も丁寧なお答えをいただき、本当にありがとうございます。
 政府部内に籍を置いた経験のない私にはいま一つ実感できないのですが、内閣法制局にはおそらくかなりの「重み」があるのでしょうね。いただいたご回答につきましては、
1)立法過程においては、内閣法制局は高いハードルとなって各省庁の前に立ちはだかることになるのでしょうが、一旦成立した法令の解釈権は、ひとまずは法律所管官庁が有することになるのではないか。
2)法的に疑義の生じるような個別案件における法解釈については、内閣法制局は後々司法判断が示される可能性があるうちはその解釈の当否について積極的に述べようとはしないのではないか。
といった疑問がさしあたり浮かんできますが、過去の法制意見のありようなどを勉強することによって、私なりに理解に努めたいと思います。

 に対して、bewaadさんから丁寧な応答をいただきました。いつもながら、本当にありがとうございます。
 いただいたお答えは次のとおりです(抜粋)。

 an_accusedさんの1つ目のご指摘のとおり一義的には法令を所管する省庁がその解釈をするのですが、上記のように法制局に対して解釈を求められることはあります。そのようなケースにおいては、強調部分のように実態がどうであれ法律上はこうなるという一般論を答えることになります。
(略)
 2つ目のご指摘についても、裏は取ってませんが工業再配置促進法第3条第1項について判例があるとは思えませんので(笑)、司法判断がないものについても解釈を述べているわけです。ご理解いただけると思いますが、行政府=法令の執行部門ですから、どのように解釈して執行しているのかと問われたときに、司法判断が出ていないので解釈できませんとは答えられません。司法判断でないので絶対ではありませんが、という留保はつくにせよ、行政府としての受け止めを答えざるを得ません。
 以上のような国会での質問のほか、質問主意書への対応についても内閣法制局第一部の審査を経て政府見解となります。国会質問で行政委員会が所掌する法令についての法制局見解の例は見つけることができませんでしたが、質問主意書では独占禁止法の解釈問題について答弁した例が見つかったのでご紹介しておきます。上記のように経産省の事情を斟酌せず回答したように、この主意書についても内閣法制局はあくまで条文にそってのみ審査します。仮に公正取引委員会独占禁止法は自分たちが所掌しているのだといって独自の解釈を主張したところで内閣法制局は解釈を枉げませんし、内閣法制局がOKしなければ主意書の答弁たり得ません。
(略)
結局、人権擁護法案を見れば「人権委員会は」といった規定があり、あたかも人権委員会が自由に振る舞えるかのように条文上は見えますが、先に紹介の工業再配置促進法において「経済産業大臣は」と規定されていても大臣が経済産業省という組織を背負っているのと同様に、「人権委員会は」と規定されていても、委員会は事務局という組織を背負っているのです。事務局の官僚のビヘイビアを考えたり、人権委員会と事務局の関係を考えるに当たっては、人権擁護省とその大臣を仮定して理解してもらってかまいません。その「大臣」が複数の者から構成され、独断では何も決められず過半数により意思決定をする点においてのみ異なるだけの話なのです。

 なるほど内閣法制局の存在は、政府部内において外部者が想像する以上の「重み」があるのですね。ありがとうございます。

 しかし、任命にあたり両議院の同意を必要とし、また任命権者の一存では罷免することもできない独立行政委員会と、総理大臣の一存で任免が可能な大臣とを同一視してよいのでしょうか。

 憲法第66条第3項に「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ」と定められていることから、内閣を構成する各大臣が対外的に表明する意思は、閣議を頂点とした統一されたものでなければなりません。だから内閣のリーガルアドバイザーたる内閣法制局が各省庁の所管事務について有権解釈を示すことができるのでしょう。

 では、独立行政委員会についてはどうでしょうか。もちろん組織上は内閣に属することは間違いありませんが、任命に際して国会のコントロールが直接に及んでいること(例:独占禁止法第29条第2項、公害等調整委員会設置法第7条など)、その職権行使にあたっては特に独立性が求められていること(例:独占禁止法第28条、公調第5条など)などから、内閣と行政委員会は一定の距離を保つことが求められており、それに伴い内閣法制局も自ずと独立行政委員会に対しては謙抑的になるのではなかろうか、と思うのです。

 このことを推察させる材料として、次のやりとりをご覧下さい。

第75回 衆議院商工委員会(昭和50年6月17日)
○板川委員 (380)*1
(略)
 法制局、ちょっと伺いますが、管理価格の調査というのは、そうしますと、六回もやっていることは、これはあなたの言う、四十条でやったことは公取は違法な行為でありますか。

○味村政府委員*2 (381)
 公正取引委員会は独立して職務を行っておりますので、法制局としては具体的な案件につきましては意見を申し述べることは差し控えさせていただきたいと存じます。

○板川委員 (396)
 一番具体的にあなたが言ったのは、プライスリーダーで値上げした場合には四十条も働かない。もちろん、それでは四十六条も働きませんよ。では、これは独禁法の目的に照らして、一体公取は十分な目的に照らした活動ができますか。調査もしないでできますか。プライスリーダーの場合には四十条は働かないと言っている。もちろん、四十六条も働きませんよ。そういうことでプライスリーダーでどんどん値上げしていって、独禁法が実質的に空洞化してしまう。それでは困るでしょう。そのために、いろいろの対策を立てるために、公取に国会に対する提案権というのがあるのではないですか。内閣総理大臣を通じて国会に意見を報告する、国会に善処を求めるということがあるのではないですか。そうすると、そういうようなことまでもできないという解釈をとられると、これは重要ですよ。
 では、ひとつ法制局に伺いますが、先ほど公取委員長が四十条を使用して幾つかの調査をいたしました、その中には、具体的に管理価格なんかはプライスリーダー的なものでありましょう。あるいは具体的に違反の事実がないものも四十条でやったことが、これがこの四十条の解釈をはみ出した行為である、こういうふうにお考えですか、もう一遍答えてください。

○味村政府委員 (397)
 どうも繰り返して恐縮でございますが、私の答えは前回と同じでございまして、具体的に公取がおやりになったことの当否という問題は、これは公取は独立して職権を行使されるわけでございますので、内閣法制局としては意見を申し述べることは差し控えさせていただきたいと存じます。

第75回 衆議院商工委員会(昭和50年6月18日)

○林(義)委員 (134)
 ありがとうございました。
 それから、昨日の質問を私はずっと聞いておりました。私聞いておりますと、政府の方で法案についての一致した努力というものがどうも私は感じられないのであります。それは何かと申しますと、昨日の答弁なんかでも出てまいりました。私が見ておりましても、公正に言って意見がどうもはっきり食い違っているところがある。やはり法案を政府として出された以上は、政府の諸君はやはり一致してその努力をしてもらわなければならない。私は当然のことだと思う。それがどうもその努力が認められない。御答弁の中にも、何かどちらでもいいような、また改正をすべきでないか、修正をすべきでないかというような御意見が随所に見られるのであります。私は、一体これはどういうことになっているのかということをきわめて疑問に感ずるのであります。
 そこで、私まず一つお尋ねしたいのです。公取の委員長というものは、委員もそうでありますが、独立した職権を行うと法二十八条には規定しております。これはその独占禁止法の解釈につきまして、委員長及び委員は政府の公的解釈、すなわち内閣法制局の解釈から独立した解釈権を持ち得るものと解すべきだと思うけれども、一体どうなんでしょう。法制局どうですか。

○味村政府委員 (135)
 公正取引委員会独占禁止法の運用を行う機関でございます。運用を行うに当たりましては、独占禁止法の各規定の解釈をしなければなりません。したがいまして、解釈をするということは運用の前提ということになるわけでございますが、公正取引委員会は独立してその権限を行うということになっておりますので、独占禁止法の解釈につきましても、公正取引委員会は独立してその解釈権を行使するというように考えます

○林(義)委員 (136)
 そうしますと、内閣の法律解釈というのは最終的には内閣法制局が持っておられる、こう思うのです。それと違った解釈というものが、独立してこの職権を行うのですから、公正取引委員会にあると、こう解してよろしゅうございますか。

○味村政府委員 (137)
 そのとおりでございます。

 この国会質疑を読む限り、内閣法制局は独立行政委員会が行った法令解釈について積極的に意見を述べることをせず、また内閣法制局によって(少なくとも表向きは)独立行政委員会の活動が大きく制約を受けることもないように思います。
 そういうわけで、「独立行政委員会における法の遵守の担保」内閣法制局の有権解釈に求めるのではなく、司法審査に求めていかざるを得ないと考えるのが自然ではないでしょうか。*3

 そう考えた場合、やはり本年4月に施行された改正行政事件訴訟法、とりわけ「公法関係確認訴訟」がどの程度活用できるかを見極めることが必要となるのですが、*4本法案の法務省修正案にみられる「異議の要旨を併記する」ようなスタイルの「行政指導(勧告)」が、果たして「当事者間の法律関係に何らかの影響を及ぼすもの」と司法に評価されるのか、疑問を抱いています。私としては、「異議の併記」などではなく、「勧告」を司法審査の対象としてきちんと組み込む(あるいは、組み込まれていると明言する)ほうが、よほど“人権委員会の暴走の歯止め”となるだろうと思うのですが、いかがでしょうか。

*1:( )内の数字は発言順番号

*2:当時内閣法制局第二部長

*3:なお関連項目として、司法府における“上訴制度による法解釈の統一”に触れたhttp://d.hatena.ne.jp/an_accused/20050506をご参照ください。

*4:改正行訴法のうち、「仮の義務付け」については、http://d.hatena.ne.jp/an_accused/20050614をご参照ください。

Musical Batonがやってきた

 若隠居さんから“Musical Baton”が回ってまいりました。
 音楽に関する4つの質問に答え、さらに5名の方にトラックバックせよとのこと。
詳しくはこちらをご参照ください。

絵文禄ことのは さま
音極堂茶室 さま


 では、私めも回答させていただきます。

1."Total volume of music files on my computer(今コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)"

A. 2.2GB

2."Song playing right now(今聞いている曲)"
A. Mandolin Rain(BRUCE HORNSBY & THE RANGE)


3."The last CD I bought(最後に買ったCD)"
A. Let’s Go!!!(DEPAPEPE


4."Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lo to me(よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)"

A.
You’ve Got A FriendCarole King
INTIMACY(MEJA)
夢中人(王菲
歌姫(中島みゆき
果てなく続くストーリー(Misia

5."Five people to whom I'm passing the baton(バトンを渡す5名)"

くまくまことkumakuma1967の出来損ない日記 さま
自治体法務の備忘録 さま
みずすまし日記 さま
アナトミストはヤツメウナギの夢を見るか? さま
いい国つくろう!「怒りのブログ」 さま

 
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回答を終えて:
5.が一番難しかったですね。いつも楽しく拝見しているブログにおじゃまさせていただくことにいたしました。