差別助長行為等の差止請求(人権擁護法案検討メモ―番外編その6)

<はじめに>

 前回の最後に、「いよいよ『差別助長行為等の差止請求訴訟』です」と書きました。こいつは手強いです。正直なところ、ぜんぜんイメージがわきませんので、下書きのつもりで書きとめておきたいと思います。
前回、前々回で取り上げた「資料の閲覧謄写」や「訴訟参加」は、民事訴訟を提起しようとする特定の人物(被害者)に対して人権委員会が行う様々な援助措置ですが、法案第65条の「差別助長行為等の差止請求訴訟」は、不特定多数の被害者に代わって国が原告となって提起する差止請求訴訟です。

法案第六十五条 
 人権委員会は、第四十三条に規定する行為をした者に対し、前条第一項の規定による勧告をしたにもかかわらず、その者がこれに従わない場合において、当該不当な差別的取扱いを防止するため必要があると認めるときは、その者に対し、当該行為をやめるべきこと又は当該行為若しくはこれと同様の行為を将来行わないことを請求する訴訟を提起することができる。

<“具体的当事者”のいない民事訴訟

 “差別助長行為”の被害者は不特定多数ですし、侵害される利益も不明確です。国が原告となる民事訴訟は、原則的に法務省の訟務部門がこれをおこなうものとされていますが、本法案は原告を“国”とせず“人権委員会”としています。これらを考えると、「差別助長行為等の差止請求訴訟」は、民事訴訟の枠組みではありますが刑事手続に近い性質を持っているように思われます。いや、ぜんぜんわからないんですが。
 民事訴訟は当事者が対等な関係であることを前提とした制度ですが、医療過誤や建築紛争などにおける原被告間の専門知識の格差や公害紛争などにおける患者と企業間の経済力の格差など、現実には原被告間に訴訟追行能力の格差が存在することは広く知られています。そしてこのような格差が司法救済の妨げとなっているという認識があるからこそ、人権擁護法案に様々な訴訟援助措置が盛り込まれているのです。
 そのような観点から「差別助長行為等の差止請求訴訟」を見たとき、私人が国に訴えられるという構造には圧倒的な訴訟追行能力の格差が存在するわけで、それを通常の民事訴訟の枠組みで処理しようという制度設計には疑問を感じざるを得ません。
 被告の言動が差別助長行為として制約を受けるべきものなのか。ことは事後的賠償ではなく事前抑制の問題であるだけに、人権委員会と被告を民事訴訟の土俵にポンと乗せるだけではなく、訴訟追行能力の格差を埋め実質的対等性を確保した上で差止の可否を争いうるような枠組みを用意しなければならないのではないでしょうか。

<差止判決の効果>

 ところで、差別助長行為等の差止請求訴訟における判決には、どの程度の作為や実行確保手段まで認められるか(出版物の廃棄や回収、謝罪広告の掲載、また差止判決に応じない場合の制裁など)についても、まだ議論が尽くされていないように思います。
 従来のプライバシー侵害をめぐる出版差止などについては、具体的な個人が被害者として存在しているため、仮に差止判決(や仮処分)に従わなくてもその後の損害賠償請求訴訟において大きなペナルティとなって跳ね返ってくることが想像されますが、“被害者のいない”差別助長行為等の差止請求訴訟ではどうなるのでしょうか。

・・・やはりイメージがわいてきません。わからないことだらけです。従来の差止訴訟を勉強してから、もう一度まとめてみたいと思います。

(そもそも差止の対象となる「差別助長行為(=ヘイトスピーチ)」について全く触れていません。手続面からのアプローチにこだわってきましたが、そろそろ“実体面”にも踏み込む必要がでてきたようです。)

 次回は、この続きを書くか全く別のテーマを書くか未定です。