人権擁護法案検討メモ―番外編その10

<はじめに>

 ええと、自分のほうから問題提起をしておきながら、いただいたお答えを受け止めきれずアップアップしてしまいました。いや、問題提起の時点で既に一杯一杯だったんですが。
 「“行政委員会が信用できない”と言っているのに、なんで“司法は信用できる”といえてしまうのか?」という私の問いかけに対して、bewaadさまからいただいたお答えがこちら。

  • Bewaad Institute @Kasumigaseki 
    • 「『法と正義』についてのとりあえずのまとめ」(2005年4月15日付エントリー)*1
    • 同「佐藤優国家の罠』」(2005年4月17日付エントリー)*2

 お答えの全文を参照すべきことは当然であるとして、その中核となる(と私が考えた)部分を抜粋させていただくと、

  • 法律の存在価値は奈辺にあるというのでしょう。あるべき結論を正当化するに当たって、その結論の客観的妥当性を図るための物差しである、というのがwebmasterの考えです。正当化のロジックには先日話題(笑)の陰謀論を含め多種多様なものがあり得ますが、その結論が他にどのような影響を及ぼすかなどについて、あれこれ法律を当てはめてその中になじむものがあれば、それは自ら導いた結論が主観的のみならず客観的にも妥当であると位置づけることができる、ということになります。
  • 法律(成文法)とは、「正義」そのものを表象するものではなく、「正義」の適格性についてのネガティブチェックのためのハードルである、そのように法と正義の関係を捉えるべきではないかと考えているのです。「正義」は、個別の事象にしか宿らないでしょうし、また、抽象的な文言に宿らせようとすべきではないと。
  • 他省庁は他にも依拠できる何らかの専門的な体系があるので(本件で言えば外務省にとっては、外交の世界のさまざまな慣習がそれにあたりますし、一番わかりやすいのは旧科学技術庁にとっての科学技術でしょう)、国民の多くから批判を浴びても、それだけで存在基盤がなくなるわけではありません。しかし、検察には国民の多くが正義と信じるものを実現することにしか、正統性の根源がないのです。
  • 「(略)検察庁実刑になるとは予測していなかったんだ。あの判決は以外だった。世論が税金の使い方に厳しくなったことに裁判所が敏感に反応したのだと思う。裁判所は結構世論に敏感なんだ。(略)」という西村検事の発言(p291)は、そんな検察庁から見てもさらに、最終的な「正義」の実現者である司法(英語で言えば正義も司法も同じ"justice"であるぐらいですから)は世論に阿らざるを得ないということについての証言だと思います。

ということになるでしょうか。

人権委員会の“正義”とは>

 以前私は、過去のエントリー「人権擁護法案男女雇用機会均等法」で「人権委員会を考える際には、準司法機関という側面よりも監督機関あるいは訴訟援助機関としての側面を掘り下げて検討したほうがよさそうです。」と申し上げておりますが、法案の検討を行うにつれ「人権委員会は“準司法機関(ADR)”としてよりも、『民事訴訟の当事者に対する資料提供』『訴訟参加』『差止訴訟の提起』といった活動を中心とする“ごく権限の弱い検察官”的役割を担うものとして捉えるべきなのではないか」と考えるにいたっておりました。
 にもかかわらず「人権擁護法案検討メモ―番外編その8」で人権委員会と裁判所を比較したのは、単に「検察官の中立公正性」について論じたテキストが少ないから、ということもあるのですが、人権委員会公取委、公調委など準司法機能を有する他の行政委員会と同じ扱いになっていること、「当事者双方の同意」という限られた条件ながら、一応は準司法機関としての機能を果たすことが求められていること、検察権は法を執行する権能として行政権に属するが、他方、公訴権が裁判に直結し、裁判と同様の司法的性質を有するものとされていることから、裁判官に求められている“公正らしさ”がある程度参考になるんじゃないかと考えたからです。
 本法案への反対論の中に、「法が恣意的に運用されることに対する危惧」を挙げる方が多いようですが、およそ“法律の意味”というものは、無限の事実連鎖の中から法的に意味のある事実とそうでない事実とが取捨選択され、法適用の対象となる事実関係が徐々に解釈的に構築されていくとともに、そうして構築されつつある事実と照合することによって、適用すべき法律の意味内容が次第に明確化されていくものであって、立法者の主観的意図に基づくものでも、法律それ自体に客観的に内在するものでもないと私は考えています。
 従って、「『正義』は、個別の事象にしか宿らない」というbewaadさまのお考えには全面的に賛同いたします。
 さて、法律の意味が文脈依存的に生成するものであるとして、その依存すべき文脈には“世論”が(当然のことながら)含まれるということも、bewaad氏は「国策捜査」を例にひいて言及されておられます。
 この「国策捜査」は、人権擁護行政においても存在するように思います。たとえば、いわゆる「アイスターによるハンセン病元患者に対する宿泊拒否問題」などは、国家を挙げて「らい病者」に対する迫害を行ってきたことに対する反動の表れであり、「国策捜査」に近いものであったように感じます。もちろん、ハンセン病(元)患者に対する宿泊拒否は許されるものではありませんので、人権擁護当局などのとった措置自体に問題があったとは思いません。ただ、「ハンセン病(元)患者に対する差別に断固たる対応をとる」という国や県の姿勢は、他の差別事象に対する対応に比べ「国策」の要素が強く感じられる、ということです。平成15年をとってみても、約1万9千件の人権侵犯事件のうち勧告に至ったケースはたった7件です。勧告は、個別の事件解決を目的としているというよりも、国の人権政策を社会に向けて宣言するという目的の方が強いと考えてもおかしくないように思います。
 このことと「法律が『正義』の適格性についてのネガティブチェックのためのハードルである」というお言葉とをあわせて考えると、必ずしも法律の専門家によって構成されるわけではない人権委員会がきちんと「法律というネガティブチェック」を働かせ、過度に“世論に阿る”ことを自制できるのか、という点につき不安を拭い去ることができません。

<「ネガティブチェック」はどこで働くのか>

 「『法律というネガティブチェックの欠如』という不安」は、同じ行政委員会である公取委に対しても向けられているということが、日本経済団体連合会が2004年7月13日に発表した「21世紀にふさわしい独占禁止法改正を求めて」に現われております。

  • 「現行の審判手続は、審判官(裁判官役)も審査官(検察官役)も事務総局の職員であり、いずれの最終決定権者も同じ公取委の委員であるため、身内が集めた証拠をもとに予断を持った上で審判に当たるという手続き(である)」
  • 「審判を受ける者と審査官の立場を対等なものとし、公平な立場の審判官がよく聞いて判断することで、適正手続を確保する(べき)」
  • 「事実認定は身分が保障された審判官(判事経験者を中心)が独立して行う(べき)。公取委は審判官の判断を尊重する(べき)」
  • 公取委の委員には、法曹資格者や経済実態に精通した学識経験者などを登用する(べき)※現在、5名の委員のうち、検察官1名、官僚(公取委のOBを含む)3名、経済学者1名」
  • 公取委事務総局の職員(約700名)のうち、法曹資格者はたったの8名しかいません。裁判官』の経歴を有する人が審判官の中に1名。『検察官』の経歴を有する人が審査部門に(違反行為の調査をする人として)2名、審判部門に審判官として1名。その他に『弁護士』の資格を有する人が、事務総局全体で、4名。」
  • 「5年以内に公取委事務総局の過半数を法曹資格者とするべき」

 公取委の審決は第一審裁判所の判決と同等のものであるとされています(独禁法第85条)。従って審決手続には刑事訴訟法の一部が準用され(同法第53条の2)、証拠に基づいて事実認定をしなければならない旨規定されております(同法第54条の3)。そして審決に不服がある場合は、東京高等裁判所に上訴することが出来ます。つまり公取委の審決に対しては、上訴によって法律に基づくネガティブチェックが行われることが制度上保障されています。
 これに対し、人権委員会の行う勧告は具体的に権利義務を変動させるものではなく、「このままだと、あなた訴えられますよ」「訴えられたら、あなたおそらく負けちゃいますよ」「場合によっては、裁判で相手方に味方しちゃいますよ」というものです(差別助長行為については「あなたを訴えちゃいますよ」というもの)。したがって処分性は認められず、差別行為の有無を確定させるためには当事者による民事訴訟が別途提起されなければなりません。つまり人権委員会の勧告と、その当不当を争う手続が必ずしも連続してはいない、ということができます(不特定多数に対する差別助長行為に対する勧告は、その後人権委員会による差止請求訴訟が予定されていますので、連続しています)*3

<おわりに>

 以上、つらつらと書いてまいりましたが、「法律が『正義』の適格性についてのネガティブチェックのためのハードルである」というbewaadさまのお考えに全面的に賛同しつつ、「では人権委員会にはその“ネガティブチェック”がきちんと働くのかなあ」という当初の疑問にもどってしまうわけです。
 なんだか従前の主張の繰り返しになってしまいました。
 最近煮詰まってしまい、更新が滞っています。サクサク更新できる方々がうらやましいです。
 正直なところ、法務部会・人権問題等調査会合同部会のドタバタを見るにつけ、真面目に検討する意欲が著しく減退してしまいました。

 平沢部会長も「とりあえず反対の意思を表示しておいた」という感じに見えますし、与謝野政調会長が「古賀氏一任は有効」との見解を示している以上、いつ政調を通過してもおかしくないような。その次の関門である総務会は全会一致が原則ですから、ここで是非とも慎重に議論してもらいたいと願うばかり(もちろん、部会・政調の段階でも慎重論議が必要であるには違いないのですが)。
 今週末は党総務会メンバーに陳情の手紙でも書くか。

人権擁護法案、自民・法務部会は審議を続行
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20050423AT1E2200V22042005.html
 自民党法務部会(平沢勝栄部会長)は22日、調整が難航している人権擁護法案の審議を当面続けることを確認した。党人権問題等調査会の古賀誠会長は前日の法務部会などの合同会議で今国会提出の「一任を取り付けた」としているが、平沢氏らは同意していない。部会と調査会の見解が割れる異例の事態が続くことになった。
 与謝野馨政調会長は22日、平沢氏に古賀氏への一任は有効との認識を示した。ただ、反対派でつくる「真の人権擁護を考える懇談会」の平沼赳夫会長らは与謝野氏に「一任は認められない」と抗議した。法務部会は26日に再度、法案を審議する予定で、党内手続きが順調に進むかどうかは不透明な情勢だ。

*1:http://bewaad.com/20050415.html

*2:http://bewaad.com/20050417.html

*3:新設の公法関係確認訴訟による方法もありえますが、まだ判例の蓄積がなく不透明です。