法は誰のものか

<はじめに>

 いつも拝見しているブログに「いい国作ろう!『怒りのブログ』」(まさくに氏)*1があります。新聞報道をベースに、主として行政の抱える病理について日々詳しく取り上げておられるのですが、その中で触発されるところがありましたので、少し書いてみたいと思います。

 テレビの大岡越前は、実定法よりも自然法に正義の重点があるような感じ(よく判りませんが)で、”大岡裁き”というのは杓子定規ではない、良心を尊重した法の適用をするので多くの人心に共感をもたらすのではないでしょうか。権力を有する者に対しても怯むことなく制裁を与える一方で、弱者のやむなき事情などを斟酌することも、正義の顕れではなかろうかと思うのです。行政府の法解釈や運用の際に、まさか「大岡裁き」を求める訳にはまいりませんが、権限行使の立場にある人は、心の内にある正義―良心でも公正さでもいいんですが―に従って解釈・運用を行って欲しいのです。そういう志があれば、大きく誤ることも少ないだろうし、恣意的運用と非難されることも少ないのではないか、と考えております。
(“いい国作ろう!「怒りのブログ」”2005年4月5日「法と正義9」より抜粋)
 やはり、法の精神、立法趣旨というのは私のような者には理解できませんね。私は今まで法学とか法律とかを勉強したことがないので、基本的な理解が不足しています(高校の時に習った憲法くらいですね、笑)。法とは一体何なのか、といつも感じてしまいます。法は何人にも平等なんかではありません、少なくとも私はそう思っています。法の論理がどんなに正しくても、法は「正義」そのものでもありません。「正義」は人間の心の中にしかないのです。法には正義が宿ったりはしないのです。
(“いい国作ろう!「怒りのブログ」”2005年4月2日「人権擁護法はどうなるか5」より抜粋)

 法と難しくて厄介な代物です。私もbewaad氏とのやり取りでは氏にコテンパンに伸されてしまいました。象徴的なのは次のくだりです。

 これは法学のいやらしいところなのですが、法律用語は日常生活で用いられる言葉と完全には置き換えは不可能です(そうでなければ弁護士の存在意義がなくなってしまいますが(笑))。an_accuesdさんのご意見は立法論・政策論として価値のあるものだと思いますが、解釈論としてはとり得ない可能性が高いです。
(“Bewaad Institute @Kasumigaseki” 2005年3月19日「人権擁護法反対論批判リジョインダー編その3」*2より抜粋)

 「法律は法律家の独占物である」ということは、法律家(官僚や法曹)と非法律家(私やまさくに氏や、その他の素人)との間で共有された観念であるように思われます。人権擁護法案をめぐる議論において“デスノート風”や“まとめ”が(良きにつけ悪しきにつけ)大きな役割を果たしたことも、「素人が安易に法について解釈できないし、解釈しなくてもよいのだ」という観念が働いた結果であると言って差し支えないでしょう*3
 しかし、中には法を自らの道具として使いこなそうとしている素人も存在します。

<“市民オンブズマン団体”による法利用>

 「大阪市役所『見張り番』」というグループがあります。彼らはいわゆる“市民オンブズマン団体”で*4 、過去15年にわたり大阪市の乱脈行政を、情報公開条例と住民監査請求を武器に指摘し続けてきました。
 彼らの政治的背景などについては触れませんが(一言だけ言うと、彼(女)らとお話してみる限り、既成政党の影響はあまり受けてはいないように思われます)、私が彼(女)らに着目しているところは、「弁護士に頼らずに済むようになろう」ということを目標としているところです(法的能力の垂直的伝播)。
 2000年8月に東京で開催された「第7回 全国市民オンブズマン大会」において活動報告を行ったあるメンバーは、「情報公開訴訟などはそれほど難しいものではなく、まったくの素人であっても5回もやれば要領がわかってくるから、弁護士に頼る必要はない」という旨の発言を行い、会場中から拍手を浴びていましたが、これは決して誇張や強がりではなく、実際に多数の住民が情報公開請求や情報公開訴訟を法律家に頼らずに行っているのです。もちろん、その活動において弁護士の関与が大きな比重を占めてきたことは事実ですが、彼らはノウハウを弁護士から吸収し、経験を積み重ねた結果、ほぼ独力で住民監査請求や住民訴訟を行えるまでになっていったのです。
 もう一つ触れておくべきことは、同じ目的の住民団体が情報を交換しあうことにより、“市民オンブズマン団体”全体の法的能力の向上を目指しているということです(法的能力の水平的伝播)。
 前述した「全国市民オンブズマン大会」は毎年開催されているのですが、そこでは各地の“市民オンブズマン団体”の経験が(失敗談も含めて)語られることで情報の共有が図られています。また、各地で提起されている情報公開訴訟や住民訴訟の訴状や準備書面などが資料として配布され、新たに同種訴訟を提起する際の参考資料として活用されているのです。

<法に頼る素人とはどういう人々か>

 このような“市民オンブズマン団体”のような素人による「法の道具化」は、いわゆる“プロ市民”特有の特徴であり一般化できないと考える方々もいるでしょう。しかし例えば金融業者は専門家(弁護士や司法書士)に頼らず独力で支払督促手続や少額訴訟手続を繰り返し利用しております。他にも建設業者は建設業法関連を、食品業者は食品衛生法関連を、また各企業の総務担当者は商法や労働関係法規をそれぞれ使いこなしているわけでして、必要があれば人々は(限定された領域ながら)法を「道具化」し自らのものとしているのです。
 これについては、「あくまで職業人としての要請があるからであって、生活者として法に習熟する必要に迫られることは通常あまりないのではないか」という疑問が生じます。
 では、なぜ“市民オンブズマン団体”は、自らの職業的要請を離れて法を道具として使いこなそうとするのでしょうか*5
 彼(彼女)らがよく利用する“武器”である情報公開条例を例に挙げて考えてみます。
 全国に先駆けて情報公開条例を制定したのは山形県金山町でした(1982年)。条例制定後、情報公開は建設業者らが営業資料を取得するために利用しているのがほとんどで、情報公開審査会への不服申立や情報公開訴訟は皆無です。
 これに対し、金山町から半年あまり遅れて情報公開条例を制定した神奈川県(都道府県レベルでは初)では、制定後2003年までの間に提起された不服申立は278件、情報公開訴訟は3件です*6
 一般的に、自治体の人口規模が大きくなればなるほど、平均的な住民と自治体との間の心理的距離は広がっていき、住民がインフォーマルなルートを通じて自治体の内部情報を入手したり自治体の意思決定に影響を及ぼしたりすることが困難になっていくと考えられます。その結果、行政内部の情報を求めたり行政権限の発動を求めたりする手段として、法によって制度化されたフォーマルなルートを利用する必要性が高まると考えても差し支えないでしょう。また、同一の自治体においても、動員できる社会資源(加入している地域団体の影響力、自治体職員の知人の有無、議員の助力など)の格差によって住民と自治体との間の心理的距離に違いが生じ、心理的距離を遠く感じている者はフォーマルなルート(法)を利用する頻度が高くなるということも言えるでしょう。
 心理的距離と法利用の関係は、相手方が行政権力でなく私人間であっても同様で、相手方との心理的距離が遠いほど、法利用の頻度は高くなるわけです。
 つまり、ありていに言えば「議員のコネが使える者はコネと法律のどちらを選んでもよいが、議員のコネを持たない者は法律しか利用できない」ということです。
 ところで、彼(彼女)らによる法の道具化は、法を彼らの独占物にしようと企図するものではなくむしろより多くの人々に利用可能なものにしようとするものであるということです。彼(彼女)らが法を道具化することにより、法を「法律家に報酬を払わない限り利用困難なもの」から、「誰もが低廉なコストで利用できるもの」となるのですから。

<法を道具化する営み>

 「法は何人にも平等なんかではありません」というまさくに氏のご指摘はたしかにその通りです。しかし法を道具化し、法利用のハードルを引き下げようとする試みを素人が止めてしまえば、いつまでも官僚と法曹による法の独占を突き崩すことも法利用の不平等を縮小させることも出来ませんし、またそのような不断の営みを実際に多くの人々が繰り返しているからこそ、恣意的な法運用が(少しずつですが)是正されているのだろう、と私は考えています。
 そのようなわけで私は、「法による正義」とは「大岡越前」や「水戸黄門」に代表される“良き為政者”によって担保されるものというより、法適用や政策決定がより多くの人々による批判的検討にさらされうる制度*7を設けるとともに、その制度を素人が活用することによって担保されるものであると考えている次第です。

*1:http://blog.goo.ne.jp/critic11110

*2:http://bewaad.com/20050319.html#p01

*3:bewaad氏は、あくまでも行われている議論の性質(政策論ではなく解釈論であること)を維持することによって議論が錯綜するのを防ごうとなさっていたのであって、決して相手方を議論の舞台から退場させることを意図していたものではないことを、念のため申し上げておきます。

*4:彼(彼女)らは私的な社会運動団体であり、いくつかの自治体に設置されている公的な“オンブズマン(オンブズパーソン)”ではありません。

*5:念のため申し上げておきますが、各地に存在する市民オンブズマン団体に関与している人々の中で、当該運動に専従して生計を維持している人はほとんどいないようです。NPO法人「情報公開クリアリングハウス」には、専従職員の方がいらっしゃるかも知れませんが、私は確認しておりません。

*6:神奈川県「2003年度情報公開制度の運用状況」およびhttp://www.ipc.fukushima-u.ac.jp/~a012/jyouhou96.htmlより

*7:具体的には、情報公開制度や住民訴訟制度、検察審査会制度などといった種々の法制度のことを指しています。