人権擁護法案検討メモ―番外編その2

<前回を受けて>

 先日のエントリー(人権擁護法案検討メモ―番外編)で、人権委員会の行う勧告が不当であると思った場合、裁判所に取消請求・無効確認請求を行うことができるかについて問題提起を行いましたところ、何人かの方から詳細なコメントもしくは別エントリーでのご見解をいただきました。まさくに様、福田様、暇人様、webmaster様、ありがとうございました。
結論から申せば、

「本法案では、人権委員会が違法な勧告や公表を行っても裁判所によって取消や無効確認がなされず、また「公法上の法律関係に関する確認の訴え」によって司法審査を受け得るか否かは未だ不確定であることから、このままでは人権委員会の判断に司法審査が及ばないおそれがある」

ということのようです。

 これは、勧告が法的拘束力を持たない“行政指導”に当たるとされるからです。違法な処分が行われた場合、行政事件訴訟法に基づき、裁判でその処分の取消または無効の確認を判決してもらうことができます(抗告訴訟)。しかし「勧告」は“処分”ではなく法的拘束力を持たない“行政指導”であるため、違法であっても放置しておいて構わないはずとされ、通常はそのような訴えは提起できないとされています。従って、たとえその「勧告」に不服があっても裁判によって覆すことは出来ません。
 かろうじてwebmaster様が

他方、昨年の行政事件訴訟法改正で「公法上の法律関係に関する確認の訴え」が規定されましたので、これにより勧告の違法性を争うことはできるのではないかと思われます(が、具体的にどこまで争えるかは判例の蓄積を見る必要があることは否めません)。なお、この確認の訴えは従前からの当事者訴訟で認められていたものの明確化という位置づけなので、改正法施行前でも提訴は可能なはずです。(Bewaad Institute @Kasumigaseki2005年3月17日http://bewaad.com/20050317.htmlより抜粋)

 と述べておられますが、表現の自由という基本的人権の根幹に(事実上の)制限を加えうる制度において、判例の蓄積を待たねばならないこと自体大きな問題であり、原案起草の段階での詰めが甘いと言わざるを得ません。
 なおwebmaster様が言及されている「公法上の法律関係に関する確認の訴え」とは、行政行為に処分性がない場合であっても、当該行為又はこれに後続する行為などによって損害を受け、又は損害を受けるおそれがある場合に、これらの行為に係る法律関係等の確認を求められるようにしたものです。ちょっとわかりにくいですが、例えば公共事業の指名入札制度において指名停止を受けた場合、その後の公共事業の指名からは排除されますが、指名停止は処分ではないと考えられているため、現行法では、事後的に国家賠償訴訟を提起する以外に救済の道はありません。このような場合に指名停止の取消を求めるというのではなく、指名停止の違法であることの確認または指名を受けうる地位もしくは指名停止がなされていないことの確認訴訟を提起する道を開いたもの、それが「公法上の法律関係に関する確認の訴え」です。これについては、「確認の利益が認められるか否か」が問題となってきますが、webmaster様も仰るように判例の蓄積がなく、全く不透明です。
 認められるかどうかわからない行政訴訟に対し、まず間違いなく認められるのは国家賠償請求です。国や地方公共団体の違法な行為により損害を蒙った場合、裁判所にその賠償を命じる判決を求めることができるというわけですが、たしかにこの裁判は国(地方公共団体)の行為全般を対象としているので、行政指導によって生じた損害も賠償の対象となります。しかし、「勧告」そのものは「従わなくてもよい」ものであるため具体的な損害が生じたとは言いがたく、また「勧告」にしたがわなかったときに行われる「公表」を停止させることは期待出来ません。
 なんだかオカシナ話ですよね。

ここで推進派は言います。

「他に立法例があるから」

 たしかにあります。同様の制度の代表例として、男女雇用機会均等法(以下、均等法という)の次の規定を紹介してみます。

(報告の徴収並びに助言、指導及び勧告)
第25条 
労働大臣は、この法律の施行に関し必要があると認めるときは、事業主に対して、報告を求め、又は助言、指導若しくは勧告をすることができる。
2  前項に定める労働大臣の権限は、労働省令で定めるところにより、その一部を都道府県労働局長に委任することができる。 
(公表)
第26条
 労働大臣は、第5条から第8条までの規定に違反している事業主に対し、前条第1項の規定による勧告をした場合において、その勧告を受けた者がこれに従わなかったときは、その旨を公表することができる。
雇用の分野における男女の均等取扱いを確固たるものとするためには、雇用管理の各ステージについて女性に対する差別を禁止するとともに、その実効性を確保するための措置の強化が必要であり、労働大臣の勧告に従わない場合の企業名公表制度という社会的制裁措置により、法違反の速やかな是正を求める行政指導の効果が高まるものと考えます。
(厚生労働省ホームページより抜粋)

 しかしながら、「他にあるから」という理由で簡単に納得してしまってもよいのでしょうか。「他に例があるからよい」のではなく、「他も間違っている」のかも知れませんし、「これは他とは違う」のかも知れません。

<「公表」規定の意味>

 現実に各種行政法規に『公表』制度が設けられているにもかかわらず、なぜ私が「人権擁護法には認めるべきではない」と考えるのか。この点について、以下の文章を手がかりに、ちょいと述べてみたいと思います。

 法律あるいは条例に行政指導に従わないことを理由とする公表の規定が設けられている場合には、その公表については、一応認めるという立場を取っています。これを理論的に説明することは難しいのですが、行政指導に従わないことへの制裁ではなく、行政指導に従わない者がいることについて情報提供することに意味があるという説明は可能です。例えば、行政指導に従わない悪質な業者が、どんどん被害を広げていく可能性があるので、こういう悪質な業者がいますよと情報提供として公表をするということですと、一応は説明が付きますね。
(「法令解説資料総覧」275号「座談会 改正行政事件訴訟法自治体への影響<第2回>」より宇賀克也教授(東京大学)の発言を抜粋)

 この考え方に沿って「公表」制度を置く理由を色分けしてみるとどうなるでしょうか。例えば食品衛生法は違反者等を公表する旨の規定を置いておりますが(食品衛生法63条)、これは公表により消費者の健康被害を防ぐという情報提供的色彩が濃いといえます。これに対し均等法に基づく「公表」は、それによって保護される対象が不明確で、制裁としての意味合いが濃厚であるということになります。

<行政指導に従わない者への不利益な取り扱いの禁止>

 ところで、行政機関と国民・事業者との間の共通的なルールを定めた「行政手続法」は、行政指導に従わなかったことを理由にして不利益な取り扱いをすることを禁じています。

(行政指導の一般原則)
第三十二条
 行政指導にあっては、行政指導に携わる者は、いやしくも当該行政機関の任務又は所掌事務の範囲を逸脱してはならないこと及び行政指導の内容があくまでも相手方の任意の協力によってのみ実現されるものであることに留意しなければならない。
2 行政指導に携わる者は、その相手方が行政指導に従わなかったことを理由として、不利益な取扱いをしてはならない。

 これは、つまるところ「誰かに作為/不作為を強制したいのであればそれは処分によるべきであるということ」を、行政手続の一般準則として示しているものです。違法な行政指導に対する抗告が認められないのですから、不利益な取り扱いを禁止するのは当然です。
 この「不利益な取り扱い」とは何を指すかについて、webmaster様は以下のように述べておられます。

 行政手続法第32条第2項に規定する「不利益な取扱い」とはあくまで「行政指導に携わる者」によるものですから、公表に伴い第三者から「不利益な取扱い」を受ける結果となっても、同項違反とはならないと考えます。確かに公表の副作用は大きいでしょうから、「前編関連」で既述の公法関係確認訴訟が同時に活用されることが望ましいかもしれません。(Bewaad Institute @Kasumigaseki2005年3月17日より抜粋)

 私はこのお考えには賛成できません。たしかに「公表」によって生じる損害は、行政指導に携わる者が“直接”与えたものではなく、「公表」によって“反射的に”第三者から与えられるものに過ぎないと解釈する限り「公表」は「不利益な取り扱い」にはあたらず、法文上明確に禁止してはおりません。
 しかしながら、均等法に基づく「公表」のように厚生労働省が明確に「制裁」と位置づけているものについても、その「制裁」が“たまたま”蒙った損害に過ぎず「不利益な取り扱い」とは言えないとするのは現実からかけ離れているように思いますし、また「不利益な取り扱い」ではないとするならば、前述の「公法上の法律関係に関する確認の訴え」に求められる「確認の利益」も極めてあいまいなものとなると考えられ、結局行政訴訟によっては救済されなくなるおそれが高まるように思われます。

<まとめ>

 以上のことを、人権擁護法における「勧告」「公表」制度に即して言い直すとどうなるでしょうか。

 人権擁護法の場合、例えば、人種等に基づく不当な差別的言動であって相手方を著しく不快にさせる行為(法案第3条第一項第二号イ)を続ける者は「勧告」を受け、さらに従わない場合「公表」されることになります。
このとき国は、「公表」によって誰の何を守ろうというのでしょうか。こんなもの明らかに「ムラ八分」を誘発すること、つまり明らかに制裁を目的としているとしか考えられません。
 人権委員会の「勧告」に従わなければ「公表」されるのですから、「勧告」が間違っている(自分が正しい)と信じている人間にとっては「勧告」と「公表」は一体です。これはたとえ聴聞の機会が設けられているとしても同じです。「勧告」をおこなったのと別の機関が行うのではなく、当の人権委員会聴聞を行うのですから、「自己の発した勧告の批判的再検討」なんて行われるはずがありません。また、「公法上の法律関係に関する確認の訴え」において確認の利益が否定された場合、もはや人権委員会の過ちを是正することは出来ません。
 人権委員会が事実認定を誤り違法な「勧告」を行った場合、「勧告」によって“差別者”の烙印を押され、「公表」によって社会的に抹殺されてから、かろうじて損害賠償を通じて争うことができるというのか。そもそも“人権を守ろう”という法律が、どんな結果を招来しいつまで続くかもわからない「ムラ八分」を推奨してもよいのでしょうか。

<余談>

余談1:

 今回、拙ブログのエントリーにおいてコメントを求め、また弁護士の方が運営されておられる複数のブログ、そして官僚の方が運営されているブログに問いを投げかけてみたのですが、私の問題提起に応答していただいたまさくに様、福田様、暇人様、そしてwebmaster様はそれぞれ一般の方、おそらく研究者の方、そして官僚の方で、弁護士の方からは応答をいただけませんでした。
 人権擁護法案をトピックに取り上げておられないところは仕方がないとして、本法案を取り上げていらっしゃる弁護士ブログでお答えが頂けず、法の運用者である官僚の方から詳細な応答をいただいたということが、行政訴訟において国に勝てない理由を推測させるものであります。おそらく本法案が可決され実際の運用が始まったとしても、行政権の濫用をチェックする能力は民間にはないのではないかということを示す一つのエピソードとして、書き留めておきたいと思います。
(この点につき、追記にて訂正いたしました。)
 ここしばらく人権擁護法以外のことを書いていませんが、番外編の次回では、人権擁護法案と類似の構造を有する男女雇用機会均等法の運用について軽く紹介し、そこから人権擁護法が使いモンになるのかどうか推測してみたいと思います。(そんな宿題、できるのかおい。)

余談2:

 本編と番外がバラバラに掲載され、まとまりを欠いております(もともと纏める気もなかったのですが。素人のメモですし)。一応、本編は司法制度上の位置づけを中心に、番外編は「使ってみたらどうなるか」を推測するつもりで。
政治的イシューとしての取り扱いは、みんなやってるからいいかな、と。あんまり熱く語れないですし。
 ただし、「こんなクソ法案、犬に食わせてしまえ」という感情は共有しているつもりですが。

余談3:

 本エントリーの内容は大方書き上げていたのですが、webmaster様から詳細なご回答をいただきましたので、ご回答にあわせてエントリーさせていただきました。私はwebmaster様が「(人権擁護法は)あるよりはない方がいい」とのお考えであり、にもかかわらず法案の正確な理解を普及させるために「反対論批判」をお書きになっておられることを承知しております。したがってwebmaster様のエントリーを引用しつつ文句を吹っかける書きぶりになってはおりますが、決して氏を論難する意図のないことを申し添えます。

余談4:

 こんなもん、一民間労働者には荷が重過ぎます。お願いしますよ、日弁連さん。

追記(12:10):

本エントリーの公開後、弁護士の小倉秀夫先生が「勧告」「公表」を抗告訴訟で争いうる余地についてお書きになっておられるのを発見いたしました。そもそもコメントに対する応答義務があるわけではありませんので、<余談1>の記述についてはお詫びして訂正いたします。申し訳ありませんでした。
 さて、小倉先生は福岡高判平成15年7月17日を紹介なさり、「勧告」を処分性ありとして抗告訴訟の対象となる場合がある旨述べておられます。
さて、この判決をどう評価するかという問題ですが、本判決で福岡高裁

 医療法30条の7に基づいて病院の開設等に関してなされる勧告は,都道府県知事が法律の規定を根拠に一方的に行う行為であるが,その勧告(中止勧告を含む)を受けたからといって,病院等の開設許可(同法7条)や使用許可(同法27条)の障害事由になっているわけではなく,その他医療法上不利益に扱われることはないのであって,その行為の目的が医療計画(同法30条の3)の達成の推進のため病院の開設等をある方向に誘導することにあると考えられることからしても,それで完結する限りは,その行為の性質は個人の権利義務に影響を及ぼさない行政指導にすぎないということができる。

と、「勧告」単独でとらえた場合には処分性を否定しつつも、勧告とそれをうけて必ず実施される保険医療機関指定申請の拒否が事実上一体のものとして捉えることができ、そして

医療機関が健康保険制度から受ける利益について,単なる反射的利益にすぎないものではなく,病院経営の自由を背景とした法律上の地位ないし権利に基づいた利益であるとみるべきである。

と、保険医療機関指定申請の拒否が法的な利益の侵害であると評価できるときに

以上を考え合わせると,本件中止勧告によって,控訴人が保険医療機関の指定申請の拒否処分を受ける現実的かつ具体的な危険があり,しかも,それによって保険医療機関としての指定を受けるという法的な利益が侵害されることになるから,本件中止勧告は処分性を有するものというべきである。

と判示しています。
 この判決のロジックに沿って考えると、「勧告」の後に続く「公表」によって生じる損害が単なる反射的利益の喪失にすぎないものではなく,法律上の地位ないし権利に基づいた利益侵害であるとみることができるかどうかにかかっていると言えます。

 結局、「公表」による風評被害をどう捉えるかによって「勧告」の処分性に対する判断が左右されるというわけですが、このように司法的救済の途が閉ざされるおそれを否定しきることができないような制度設計自体まちがっているのでは、という気持ちを拭い去れません。
 なお、小倉先生のその後の記述において、人権委員会が両議院同意&内閣総理大臣任命による委員の合議体であることを理由に「恣意的に勧告、公表を行う可能性はきわめて低いといえます。」と述べておられますが、これは「いい人が決めているのだから間違わないだろう」と司法審査の必要性を否定なさっておられるように読めてしまうのですが、誤読でしょうか。もしも制度に対してかようなまでに素朴な信頼を置いておられるのなら、反対論者との議論が噛み合うはずもないように思います。
 とはいえ、人権委員会の選任については、制度論としては真っ当なものですから、反対論者は自ら抱く不安を解消しうる選任手続をたたき台として示さなければいつまでも議論が前に進まないように思われます(前に進ませる気がなければ別ですが)。

現在までのエントリー

<本編>
導入:「知財高裁と人権擁護法http://d.hatena.ne.jp/an_accused/20050311/1110563623
法案登場の背景:「人権擁護法案検討メモ―その0」http://d.hatena.ne.jp/an_accused/20050314/1110803628
人権侵害事件の現況:「人権擁護法案検討メモ―その1」http://d.hatena.ne.jp/an_accused/20050312/1110630143
救済のあり方:「人権擁護法案検討メモ―その2」http://d.hatena.ne.jp/an_accused/20050313/1110698078
硬直司法批判?:「人権擁護法案検討メモ―その3」http://d.hatena.ne.jp/an_accused/20050315/1110909497
解決のありようについて:「人権擁護法案検討メモ―その4」http://d.hatena.ne.jp/an_accused/20050316/1110990754
<番外編>
勧告の処分性(前フリ):「人権擁護法案検討メモ―番外編1」http://d.hatena.ne.jp/an_accused/20050313/1110698079