人権擁護法案検討メモ―その0

※これは、J2さん「音極道茶室」2005年3月12日エントリーへのトラックバックです。
(注記:本稿はJ2氏のエントリーに触発されて書いたものですが、公開している以上J2氏以外の方の眼にも触れることを当然想定しており、本稿に対する皆様からのご批判は甘んじてお受けいたします。)

 コメントを書こうとしたらむやみに長くなってしまいました。
 「象の話」からの話なんですが。

 実は私には、同和団体の吊るし上げを食らって「あいつら許せねえ!」って言い続けてる叔父さんがいます。で、私も叔父さんに全面賛成です。あいつら許せねえ(笑)。
 でもまあ、実際昔はひどい差別があったりしたわけで(今もあるかという点についてはそれぞれの陣営から主張が展開されるのでしょうが、昭和30年代あたりに結婚や就職における被差別部落出身者に対する差別があったということについては、南京大虐殺の存在よりはコンセンサスが得られやすかろうと思います)、被差別部落の劣悪な住宅環境や低水準の所得状況を何とかせねばならん、となったわけです。んで、今まで国や地方公共団体が何をやってきたかというと、いわゆる同和対策事業を行うために“特別措置法”を作って予算をつけてきたわけですね。
 http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/162/

・同和対策事業特別措置法(S44~S57)
・地域改善対策特別措置法(S57~S62)
・地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律」(地対財特法)(S62~H14)(←長っ!)
 これらを使ってどんなことをしてきたかというと、まあ公営住宅作って優先入居させたり、と畜産業なんかに助成金出したり、人権教育推進したりしてきたわけです。なんで“特別措置法”かというと、「部落差別は啓蒙によっていずれなくなるはず」だから、恒久的立法はおかしい、従って事業の実施に期限をつけて、それが終わる頃にまた様子をみましょうや、というわけです。で、期限が来る度に「まだ差別はなくなってねえ」って圧力がかかって(そりゃホントに残ってたかも知れないけどさ)、33年間で14兆円くらいばら撒いたんです。で、それだけ使ってもまだ足りないって言い続けるし、いつの間にか住宅事情なんかは対象地域のほうが周囲より良好になってきました。
 さすがに「いいかげんにしやがれ」となってついに平成14年に失効したんですが、これに“たまたま”時を同じくして出てきたのが「人権擁護法案」です。
これが作成された経緯については、「趣味のWEBデザイン」『人権擁護法案10年史』http://deztec.jp/design/05/03/08_history.htmlがもっとも詳しいのでそれをご覧になっていただきたいんですが、まあ乱暴な要約をすれば、「人種差別撤廃条約」に加入するときに日本の政府がいろいろ悩んだらしい。「この条約は、人種や民族の対立が殺し合いにまで発展するようなヨーロッパ諸国向けの仕様だけど、ウチはそこまで烈しくないしなあ。ドイツみたいな“闘う民主主義”でもないし、かなりの程度まで表現の自由を認めている(そしてそれが大した弊害を生んでいない)日本としては、『人種差別の扇動に対する処罰』までは必要ない。これ呑んだら国内の合意を得られにくいから、とりあえずやり過ごそう」ということで、条約のうち「人種的優越又は憎悪に基づくあらゆる思想の流布」、「人種差別の扇動」等につき、処罰立法措置をとることを義務づけた第4条(a)及び(b)に留保をつけた上で加入することにしました。
 でも、いつまでもバックレてるわけにもいかないことは政府もわかっているので、1996年に「人権擁護推進審議会」を設けて、国内法体系と整合的で、世論の賛同を得られやすい人権保護立法を考えようということになりました。

人権擁護施策推進法
第1条 この法律は、人権の尊重の緊要性に関する。認識の高まり、社会的身分、門地、人種、信条又は性別による不当な差別の発生等の人権侵害の現状その他人権の擁護に関する内外の情勢にかんがみ、人権の擁護に関する施策の推進について、国の責務を明らかにするとともに、必要な体制を整備し、もつて人権の擁護に資することを目的とする。

 んで、いろいろ審議会での議論があって、推進法が失効する前年の2001年5月25日に、新たな人権救済制度の設置の必要性について答申しました。当然ですよね、それを考えるためにできた審議会ですから、「やっぱ必要ないみたいですわ」なんて答申出すわけありません。ただ、出すからにはマトモなものをと頑張ったわけですし、国内の状況や法体系との整合性、それに条約との兼ね合いを検討した上での、しごくありきたりな答申だと思います。これを元にしてできたのが「人権擁護法案」で、平成14年3月8日に国会提出されました。
 そのときは結局成立しなかったんですが、これはメディア規制条項に対する反発が政府の予想より大きかったということのようです。
 でもまあ、一旦必要ありと認めた制度を簡単にあきらめるはずもなく。国内的には、補助金によって生活水準の直接的底上げを図る同和対策から差別的取り扱いがあったときその都度事後的に差別的取り扱いの排除を図る人権擁護政策への転換することを納得させた落とし前をつけねばならず、対外的には人種差別撤廃条約加入時からの宿題の提出を急かされて、政府はチョコチョコと法案を議題にのぼらせていたのですがその都度お流れになっていました。

人種差別撤廃委員会最終所見:日本
11.委員会は、条約第4条(a)および(b)に関して締約国が維持している留保、すなわち、「日本国は・・・、日本国憲法の下における集会、結社及び表現の自由その他の権利の保障と抵触しない限度において、これらの規定に基づく義務を履行する」とする留保に留意する。委員会は当該解釈が条約第4条に基づく締約国の義務と抵触することに懸念を表明する。委員会は、委員会の「一般的な性格を有する勧告VII(32)」および同「XV(42)」に締約国の注意を喚起する。これらの勧告によれば、第4条のすべての規定が非自動執行的であることに鑑み同条は事情のいかんを問わず実施されるべき性格をもつ規定であり、また、人種的優越または憎悪に基づくあらゆる思想の流布の禁止は、意見および表現の自由についての権利と両立する。
人種差別撤廃委員会の日本政府報告審査に関する最終見解に対する日本政府の意見の提出
6.パラ11の第4条(a)及び(b)の留保に対する委員会の懸念表明について
人種差別撤廃委員会の一般的勧告7及同15については我が方も十分承知しているところであるが、第4条の定める概念は、様々な場面における様々な態様の行為を含む非常に広いものが含まれる可能性があり、それらのすべてにつき現行法制を越える刑罰法規をもって規制することは、その制約の必要性、合理性が厳しく要求される表現の自由や、処罰範囲の具体性、明確性が要請される罪刑法定主義といった憲法の規定する保障と抵触する恐れがあると考えたことから、我が国としては、第4条(a)及び(b)について留保を付することとしたものである。
 また、右留保を撤回し、人種差別思想の流布等に対し、正当な言論までも不当に萎縮させる危険を冒してまで処罰立法措置をとることを検討しなければならないほど、現在の日本が人種差別思想の流布や人種差別の扇動が行われている状況にあるとは考えていない。

 まあ、そうは言うものの(というより、国内法の整備が確定的でない以上、「たしかにまだやってません」なんて言ったら面子丸つぶれなわけで)、何か施策を講じないことにはいつまでも留保について指摘を受け続けることをわかりきった上での回答でありましょう。そのことは

7.パラ12の、人種差別の処罰化及び人種差別的行為からの効果的な保護と救済を確保すべきとの勧告について 
 上記6.のとおり、我が国は、憲法の保障する表現の自由等の重要性にかんがみ、本条約の締結に際し、右保障と抵触しない限度で第4条(a)及び(b)の義務を履行する旨の留保を行っているが、かかる範囲での処罰立法義務については、上記5.のとおり、名誉毀損等既存の刑罰法規で十分に担保されており、また民事上の手続により損害賠償請求が可能であるなど、上記留保の下、本条約上の義務の履行を確保する国内法は整っている。
 この他、法務省の人権擁護機関においては、人権尊重の普及高揚を図る立場から、人種差別の問題も含めあらゆる差別の問題について積極的に啓発活動を行い、また、人権相談所を設けて差別を受けた方からの相談に応じているほか、具体的に基本的人権の侵害の疑いのある事案を認知した場合には、人権侵犯事件として速やかに調査し、侵犯事実の有無を確かめ、その結果に基づき、事案に応じた適切な処置を講じるよう努めているところである。
 法務省に設置された人権擁護推進審議会においては、人種差別についても、人種差別撤廃条約の趣旨も踏まえて、救済施策が検討され、2001年5月に出された人権救済制度の在り方についての答申においては、政府からの独立性を有する人権委員会(仮称)を中心とする新たな人権救済制度を創設、整備し、同委員会は、人種・皮膚の色・民族的又は種族的出身等を理由とする社会生活における差別的取扱いを含む一定の人権侵害に関して、より実効性の高い調査手続と救済手法を整備した積極的救済を図るべきであると提言している。
 政府としては、同審議会の答申を最大限尊重し、人種等を理由とする差別的取扱い等による被害者についても実効的な救済を図ることができるよう、提言された新たな人権救済制度の確立に向けて、全力を尽くしていく考えである。

 つまり「何かしなければならないことを解っていないわけじゃないんですよ、もう少ししたらちゃんと作るんですよ」と述べていることからもわかります。

 いいかげんスパッと成立させたい法務省と、常任理事国入りに向けて外交上のポイントを稼ぎたい外務省&官邸が、特措法亡き後新たな人権擁護政策を求める方々&偉大なる“ラーメン大好き小池さん”の暴走のせいで肩身の狭くなっている方々の支持を受けた議員たちとタッグを組んで、成立の足枷となっていた「メディア規制条項」を外して再チャレンジしてきた、これが“人権擁護法案出生のエピソード”じゃないでしょうか。本当は“もっとものすごい陰謀”が渦巻いているのかも知れないですが、まあこんなもんなのかな、と思います。
 「もっとすごい陰謀説」はそれぞれ魅力的ですが、それぞれの陰謀が単独で政策を決定付けられるわけでもなく、相互に牽制し合いながら(つまりそれぞれの影響力を削ぎあいながら)輪郭が形成されていくわけですから、上記のようなざっくりとした理解でひとまずは足りるのではなかろうかと思います。
(あっ!公明党がなんでメディア規制にこだわるのか、書くの忘れてました。)

 それぞれの思惑を反映しつつ本法案が議論の俎上に乗っかってきたわけですが、議論が百出していることはご存知のとおりです。

 法案の背景には、同和利権にせよ在日勢力にせよ、何らかの圧力団体が存在するでしょう。でも、そもそも何の背景もなくポンと法案が誕生することのほうがあり得ねえだろうと思うんです。
 背景にある利権構造を暴くことは必要だし、重要だと思うんですけど、そのこととどこぞのサイトみたく「日本語で在日に挨拶したら逮捕」なんていう荒唐無稽なデマを並べて熱狂的になることとは違うんじゃないかと。
 もちろん、この法案が可決したら必然的に「挨拶したら逮捕される社会」まっしぐらだったらドンドン言うべきですし私だって騒ぎます。しかし風が吹けば桶屋が儲かるよりも遠い因果関係に基づく主張が支配的になるような世の中だったら、今度は誰がターゲットにされて不安を煽られるかわかったもんじゃない。そんな社会、ちょっとイヤです。
 もちろん、在日や被差別部落出身者が「差別を受けた」と言って人権侵害調停を申し立ててくるでしょう。でも、私が例えば車にはねられて車椅子に乗るようになったとき、JRに乗ろうとして駅員に頼んだら「今忙しい」って言われて30分放って置かれたとします。そのときには人権擁護委員が相談に乗って、エレベーターつけてくれるように掛け合ってくれる、そういう側面もあるんです、この法案には。今までみたいな、被差別部落出身者用の住宅や奨学金制度に金をジャブジャブ注ぎ込んで(それが応急措置として必要な時代もあったかも知れません)、他の人には利用させないっていう明快な逆差別構造とは違うんです。そんなわかりやすい逆差別なら、なにもこんなに書くこともなく「はい廃案」って言ってます。
 誰もが利用しうる制度である、しかしむやみに利用頻度の高そうな人がいそうな気もする。そういうとき、どう考えるか。
 J2さんみたいに個別立法、例えば児童虐待やDVや、犯罪被害者や、そういうカテゴリー毎に個別立法による救済を図れば、わけわからん“人権屋”が出てくるチャンスが少なくなると考える人もいます。
 私のように司法の仕事って割り切って、司法アクセスを広げちゃうことで“人権屋”だけがオイシイ思いをしないようにしちゃえって考える人もいます。
 ほかにもいろいろあるでしょう。でも、この法案じゃダメっぽいのはいろんな人が指摘しているわけですから、国会に上程されるまでには紆余曲折があることでしょうね。