人権擁護法案検討メモ―その2

<人権侵害をどうやって救えるのか?―救済のあり方について>

 前回、現行の人権擁護機関の元には年間36万件の相談が寄せられ、そのうち約5.2%が人権侵犯事件として処理手続に乗ること、人権侵犯事件として調査する決定の下った事件のうち95%が「援助」、すなわち人権侵害の被害者に対するカウンセリングや情報提供にとどまり相手方に公的な働きかけを行うにいたっていないことについてのべました。
では、これら人権侵犯事件について、法案は何をすべきだといっているのでしょうか。
 先に引用した答申では次のように述べられています。

 裁判制度には,以下に述べるような制約がある。すなわち、
[ア]その中心となる訴訟は,法と証拠に基づき権利・義務関係を最終的に確定するものであるため,本質的に厳格な手続を要するものであること(公開性,要式性等)や,現行不法行為法上,採り得る救済措置が限られていること(事後的な損害賠償が中心)などから,簡易・迅速な救済や事案に応じた柔軟な救済が困難な場合がある
[イ]裁判手続を利用するためには,権利侵害を受けた者による申立てと手続の追行が必要であるが,差別や虐待の被害者のように,自らの社会的立場や加害者との力関係から被害を訴えることを思いとどまったり,たとえ訴えようとしても,証拠収集や手続追行の負担に耐えられずにこれを断念せざるを得ない者が少なくなく,そもそも被害意識が希薄な被害者すらいるなど,自らの力で裁判手続を利用することが困難な状況にある被害者がいる
「人権救済制度の在り方について」(答申)http://www.moj.go.jp/SHINGI/010525/010525-02.htmlより

 上記「裁判制度の制約」のうち、[ア]は司法手続の外に紛争処理制度―特別人権侵害に係る調停(法案50条)及び仲裁(法案57条)―を設ける必要性について述べたものであり、[イ]は人権侵害の被害者の訴訟追行への援助制度―資料の閲覧及び謄写(法案62条)又は人権委員会の訴訟参加(法案63条)―を設ける必要性について述べたものです。

 まず[ア]のうち「要式性の弊害」についてですが、たとえば少額訴訟において簡易な手続が認められているのは、処理の対象として予定されているものが、規模の小さい、かつ金銭の支払い(経済的利益)をめぐる紛争に限定されているからです。言論や処遇の差別性という精神的自由をめぐる人権侵害紛争について、迅速はともかく簡易な手続に委ねることは妥当ではないように思います。経済的自由よりも優位にあるとされる精神的自由に係る紛争であるからこそ、その処理において厳格な手続が要求されるように思います。なお、このことは“厳格な行政手続”の導入までも排除するものではありません。また「公開性の弊害」については、裁判所における調停も非公開であることから、新たな調停手続でなければプライバシーが保護されないということはありません。
 次に「不法行為法上の救済措置に限界がある」という点についてですが、これは正直私には荷が重いすぎる論点です(今まではどうだったんだ、と呼ぶ声あり)。
 ただまあ、「不法行為に対しては事後的賠償によってのみ救済されるので、人権侵害が司法的救済になじまない」というのはやや硬すぎるような気がします。というのは、人格権に基づく主張は損害の事後的回復に限らず事前の差止請求まで一応可能であると考えられており、また人格権は生命・身体の自由だけでなく名誉・プライバシーといった精神的自由も保護の射程内としていることは「北方ジャーナル事件」判決において明らかとなっているわけですから、特別人権侵害として定められた不当な差別、虐待等に対し人格権を根拠として差止請求を行うことは充分可能だと考えるからです。
 以上のことからは、現行の司法手続とは別に新たな紛争処理手続を設ける積極的意義を見出すのは難しいように思われます。
 いやいや、まだ「訴訟手続の硬直性」が残っていますね。これはまず訴訟と調停の違いについて考えていくことが近道かと思います。人権侵害調停はまだないので、次回では民事訴訟と民事調停を簡単に比較してみます。