“Grip Brog:ネットジャーナリズムの行方【取材記3日目】*1”に応答して

 泉あい女史が運営している“Grip Brog”というブログがあります*1
 “ジャーナリスト”を目指す彼女が、自ら感じた疑問を抱え時には被災地新潟に赴き、時にはテレビ局に門前払いを食らい、親のない子を取り巻くさまざまな現実に立ち尽くしながら、“何かを伝えようと”奮闘しているブログです。
 日常の生活を書き綴る“日記”系ブログや、マスメディアから得た情報を再解釈する“論説”系ブログ、私のようなスクラップブック代わりのブログなどが大半である中、“Grip Brog”のように自ら取材し一次資料から収集しようとする試みは、貴重なものであると考えています。また、泉女史のようなネット上の言論を主なフィールドとするジャーナリストが、今後勢力を拡大していくことになるでしょう。
 ネット・ジャーナリズムのあり方(または、その目指すところ)については、昨日泉女史がインタビューなさった湯川鶴章氏のブログ「ネットは新聞を殺すのかblog *2」に紹介されている「パブリック・ジャーナリスト宣言*3」を含むいくつかの論稿が、非常に示唆に富む内容であり、勉強させていただきました。
 ちなみに、その中の「せきやんも、パブリック・ジャーナリスト宣言*4」では、ネット上に(今後)展開する自由な言論空間を、市民革命期の英国におけるコーヒーショップになぞらえています。実は、コーヒーショップでの言論が新聞を「通信新聞」から「思想新聞」へと発展させ、新聞をして一時期の間批判的公共性の担い手たらしめていたはずで*5、その歴史に倣えば、インターネット環境の整備によって発生したネット・ジャーナリズムもいずれは新聞のようにその批判的公共性を失っていく宿命なのかも知れません。
 ネット・ジャーナリズムがその宿命から逃れ、批判的公共性を保ち続けるためには、情報の発信者が受信者をひとくくりに捉えることなく、また受信者の側も自らを群集に埋没させることなく、議論の双方向性を我慢強く守り続けるほかはありません。
 私にとって、インターネットの世界は先週のテーマである児童福祉以上に守備範囲外でもあるため、的外れな話になったかも知れません。泉女史の取材については変わらず期待しております。