「手錠をかけられた検事」

 ドキュメント番組「手錠をかけられた検事」(日本テレビ系列)
 2005年2月6日(日)24:25〜24:55/30分枠
を見ました。
 元大阪高検公安部長 三井環被告人が起こしたとされる収賄事件をめぐる裁判と、彼が告発しようとしていた“検察庁調査活動費流用疑惑”についてのドキュメンタリーです。
 2月1日のエントリーで私はこの件について
「公訴事実があまりにもセンセーショナルすぎ、にわかに信じられないような内容でした」
と書きました。新聞報道やこの番組に接する限り、三井被告人は検察幹部でありながら暴力団幹部と酒食を共にしていた事実については認めていたようです(但し、贈賄側の裁判では「汚職の構図」が認定されたものの、三井被告人側は「接待の目的は、三井被告が金を貸したことへの礼や元組員が手掛けていた事業への出資の勧誘で、職務との関連はない」として、「収賄罪は成立しない」と主張していました)。
 暴力団関係者との私的接触については、やはり三井氏の脇が甘かったと言わざるを得ません。
 しかし、「(贈賄側)元組員の供述が変遷しており、信用性に疑問が残る」と判決で否定された“デートクラブ嬢による接待”について、当のデートクラブ嬢が本件逮捕前に別の事件に巻き込まれて殺害されており、いうなれば“死人に口なし”の状況であったという事実を、このドキュメンタリーから知ることができました。
 
 贈収賄という犯罪はいわゆる“具体的被害者”がなく、主要登場人物がすべて“加害者”です。もしも、収賄側を陥れようとする企てがあったとすれば、これ以上都合のいい犯罪類型はありません。なぜなら、贈収賄という犯罪類型自体極めてマイナスイメージなものであるとともに、贈賄側に今後の便宜を言い含めて(暴力団関係者なら、検察に貸しを作ることは大きな魅力でしょう)公訴事実を認めさせ、とっとと公判を片付けてしまえば、「犯罪はあった」という印象が抜きがたく定着してしまうからです。
 ましてや、事件の重要な証人となるはずであった女性は、もはや法廷に立てなくなっている人物です。

 この事件全体が“でっちあげ”であるかどうかについては上級審の判断を待つほかありませんが、検察が、わざわざ立証困難な“デートクラブ接待”の事実を主張することで、三井被告人の“悪徳検事ぶり”を喧伝し“検察調活費問題”追及の眼を逸らそうとしたのではないかとの印象を強く抱きました。
 犯罪が行われたと疑うに足る事実があった(とする)のだから、法令上は公訴権の濫用はなかったと言い得るかも知れません。しかし今後検察は、自らの職務権限を私物化した者たちを摘発し弾劾するときに、後ろめたさを抱かずに済むのでしょうか。