「性犯罪者の居住地情報公開」のもたらすもの

昨日記した「『性犯罪者情報を公開すべきか?』―コメントを拝見して」に対して、koneko04さまから、以下のようなコメントをいただきました。ありがとうございます。

 性犯罪者、特に過去に児童を性的に暴行したという人物にはご近所さんになって欲しくありません。子供がいる身として、こういった犯罪に子供が巻き込まれないようにするにはどうしたらいいのか調べていましたら、性犯罪者が標的とする相手にこだわりがないというようなことがカリフォルニア州の性犯罪者のデータベースに書いてあったように記憶しています。

 koneko04さまのおっしゃるとおり、「犯罪歴を持つ者(しかも子どもに危害を及ぼすような!)を隣人に迎えることは、だれしも快く思わないでしょう。これは“迷惑施設(ごみ処理場など)の設置をめぐる議論”にも似ていますが、“迷惑施設”は「イヤだけど必要なもの」であるのに対し、犯罪歴者は「イヤな上に役にも立たない」点で、なおさら忌避感情が生まれやすい、とも思えます。
 地域住民の忌避感情に任せて、性犯罪歴者を排除してゆけば、その地域にはひとときの“平和”が訪れるでしょう。
 では、排除された性犯罪者はどこへ行くのでしょうか。居住反対の声の小さい、コミュニティーの団結力の弱い地域に集まっていくのでしょうか。非難の視線に耐えかねて、法で義務付けられる(であろう)警察への届出をせずに転居してしまい、所在がつかめなくなるかも知れません。自分を排除した住民を逆恨みしてしまうかも知れません。
 「性犯罪歴者の情報公開」については、新聞記者である高田昌幸氏のブログ「札幌から ニュースの現場で考えること」内のエントリー*1がエピソードの形をとりながら考察されていますので、ご覧下さい。
 次に、koneko04さまのコメントの後半部分であります

日本のマスコミ、特にネットの新聞を見ていると、子供をレイプすると即、小児性愛者というように報道されるのが気になっています。レイプにしても、性的な指向であるように取り上げられているように感じることがありますが、レイプにしても子供を選ぶに至った真意にしても、性的な欲求を満たすというよりも、力で相手を屈服されるというのが本来の目的ではないかというように英語のHP(性犯罪者対策などについての)には書いてあります。

についてですが、人の感情を最も攻撃的にするものはポルノである」との研究もあるようで、性衝動と暴力衝動は似通っているようです。
 そうであるなら、性犯罪歴者を排除し心理的負荷を与えることがかえっ彼(彼女)らを性犯罪へと駆り立てることになるのではないか、とも思えてきます。
 極端な隔離政策を採らないかぎり、いつか必ず性犯罪歴者は社会に帰ってくることを踏まえながら、議論を重ねてゆく必要があるでしょう。

*1:「彼」は怯えているhttp://newsnews.exblog.jp/495517#495517_1