「『性犯罪者情報』を公開すべきか?」―コメントを拝見して

 1月24日のエントリー*1で、「性犯罪歴者の再犯を抑止するのは外部からの監視強化ではなく、性犯罪歴者の心の内面に自己を監視する“眼”を植えつけることが必要である」と述べました。
 これに対し、
ビートニクス氏から
「それ(自己を監視する眼)を意識しすぎることがプレッシャーとなって悪影響がないのかどうか等を検討する必要があるように思います」
“でも”氏から
「『再教育』をシステム(ノウハウ・マニュアル)化すると、それすなわち『思想の自由』に反してしまうのです」
とのコメントをいただきました。

 「自己を監視する眼を植えつける」ことは、平たく言えば「しつけ」のことでして、実はすべての人が持ち合わせているものであると思っています。
 「思想の自由」論についてですが、「内心の自由」と「表現の自由」には違いがあることは多くの方が理解されていることかと思います。頭の中で「○善を吹っ飛ばしてやろう」と妄想することは“内心の自由”により保障されていますが、“表現の自由”のレベルでは、せいぜい檸檬を置いてくるのが関の山で、爆弾を仕掛けてしまうことまでは許されないわけです。
 「各人が、心の内に持つ“暴力衝動”や“性衝動”、“略奪衝動”などをなんとかコントロールし社会との調和を乱さぬように振舞えるように、再教育を施すこと」。このことが直ちに「思想の自由」に反するとは思えません。
 さて、ビートニクス氏のブログへのコメントにおいて、「切込隊長BROG」のエントリーが紹介されております*2。こちらでは「小児性愛」に関する興味深い調査とその考察が掲載されております。調査結果を抜粋すれば、
「14歳以下に対する性的欲情の発露は成年男子にとって極めて正常な反応である」「小児性愛嗜好を有することを嫌悪し、その拘束から逃れようとしても結局性的嗜好に変化が見られず改善しない」
というものでありました。
 「性的嗜好を変化させることは困難である」との指摘はおそらくそのとおりで、よく「アルコール依存は完治しない」などといわれますが、小児性愛も克服しようとすればアルコール依存の克服と同様の苦しみを味わうものなのでしょう。
 なお、日本においても、子どもに対する性衝動の克服を援助するための自助グループが(少数ながら)存在し、地道な活動を続けておられるようです*3
 小児性愛者が自らの小児性愛嗜好をコントロールしようとする限りにおいては、彼(彼女)らを排除するのではなく共生の道を開いておくべきであり、またそうでなければ再犯を効果的に抑止することは困難であること、性犯罪歴者の居住地情報を公開は、彼(彼女)らの孤立を深めることになりより事態の悪化を招くおそれがあるため実施するべきではないことを、再度述べておきたいと思います。