「性犯罪者情報公開」再考

 beatniks氏のブログ「法と常識の狭間で考えよう」で、奈良市児童誘拐殺人事件以降の政府の動きをまとめておられます。
 さてBeatniks氏によれば、過去に性犯罪を犯した者(以下、「性犯罪歴者」という)の居住地情報を警察が把握する制度の導入がほぼ間違いないなく、地域住民への開示の是非をめぐる議論が今国会の争点となりそうとのことです。
 果たして、性犯罪歴者の居住地情報を把握することは、本当に再犯抑止につながるのでしょうか。

<警察にできること>

 警察の活動には防犯活動も含まれますが、基本的には発生した犯罪の捜査と犯人の検挙であって、犯罪のおそれがあるからといって予防的に身柄を拘束する権限を有しているわけではありません。ストーカーや児童虐待なども、つきまといや虐待を推測させる状況など事前の徴候があるから警察は介入できるのであって、唐突に行われる児童誘拐などの防止に対し、警察が何らかの有効な手段を持っているとは思えないのです(新たに「予防検束」を認めるなら別ですが)。
 警察が性犯罪歴者の所在を把握するメリットは、①性犯罪が発生したときに、容疑者を絞り込みやすいこと、また、②所在を把握されている者が、容易に容疑者リストに挙げられることを予期して二の足を踏むであろうこと、ということでしょう。
 しかし、いかに性犯罪歴者の再犯率が高くても、少なく見積もっても性犯罪の半数は初犯者が引き起こしているわけで、警察の捜査対象が性犯罪歴者に偏ることによる初動捜査の失敗や、誤認逮捕、ひいては冤罪の危険も無視できません。

<住民が性犯罪歴者の所在を知ることとは>

 ではやはり、性犯罪は地域住民による監視によって未然に防ぐしかないのでしょうか。
 性犯罪歴者の所在を公開したところで、彼(彼女)が路上や公園で子どもに危害を加えるのを防げるとは思えません。新聞報道によれば件の容疑者も、当初は居住地から離れた大阪府内で女児誘拐を目論んでいたというではありませんか。
 性犯罪歴者から子どもを引き離すには、一見してそれとわかる特徴(入れ墨や指の欠損など)を付与するしかありません(英国ではGPS標識を身体に付着させるという“洗練された方法”が採用されているようですが、GPSによる行動把握も、犯罪が発生した後、被疑者が“そこにいた”ことを証明するに過ぎません)。
 “情報公開”によるメリットは想像しにくいですが、デメリットの方はどうでしょうか。居住地情報の公開によって、性犯罪歴者は地域社会から疎外され、住居や職業の安定を失い、ますます孤立感を深めていくなど、いろいろ浮かんできます。
 自民党の議員の皆さんには、「性犯罪歴者の居住地公開」によって本当に“何か起こる前にどうにかできる”のか、法案提出前に部会でよく検討していただきたいと思います。

<では、何が求められているのか>

 では、何が性犯罪歴者が再び罪を犯すことを食い止められるのでしょうか。
 それは非常にありふれている(かつ、生ぬるいと感じられる)方法ですが、「監視の目を心の中に植えつけさせる」ことしかありません。
「監視の目を心の中に植えつけさせる」とは何か。それは、性犯罪歴者に自らの中にある性衝動を自覚させ、自らの意志でポルノやアダルト漫画などを遠ざけさせ、同じ悩みを抱える者たちと気持ちや情報を共有させるといった地道なプロセスによって、性衝動を馴致させるよう再教育することです。
 このことは応報としての刑罰を否定することではありません。犯した罪は償うべきです。しかし、その後の彼らを社会から遠ざけ疎外するのではなく、社会と共存する作法を身に付けさせることが、結局は再犯の抑止になるのではないか、と考えています。