「川崎市人権オンブズパーソン条例」と人権擁護法案(人権擁護法案検討メモ―番外編その9)

川崎市人権オンブズパーソン”については、和尚氏のブログ「ニヤリ」2005年4月4日付エントリー*1で取り上げられておりまして、私も少しコメントさせていただきました。

取り上げられていた事案(以下 当該事案という)は次のとおりです。

教員の暴言等による不適切対応

<救済申立内容等>
  1. 被権利侵害者 小学校低学年の児童
  2. 権利侵害者  担任教員
  3. 相談者    保護者(児童の両親)
  4. 救済申立内容
 児童は教室内で悪いことが起きるたびに、担任より大声で叱責を受けるなど、一年間つらい思いをしながら学校に通っていた。保護者は、担任教員の指導が適切でないと校長に訴えていたが、誠意ある対応がないため、救済を申し立てた。 <救済活動等> 人権オンブズパーソンは、救済申立てに基づき、教育委員会をとおして学校に調査実施通知書を送付し、担任教員や校長の面談を行った。   面談で、救済内容について事実確認をしたところ、担任教員は、児童の授業中の立ち歩きや、クラスメイトとのおしゃべりにより授業の中断を余儀なくされた時などに大声で注意をしたり、聞き入れられない時には腕を強くひっぱるなどの言動があったことが判明した。   人権オンブズパーソンは、校長と担任教員に、担任教員が児童の心を傷つけるような行き過ぎた言葉や行動があり、教育的配慮に欠けていたことを指摘した。   その指摘に対して、担任教員は事実を認め、自ら反省し、校長とともに保護者に謝罪した。また、校長は教育委員会に相談し、児童への行き過ぎた指導について反省を促すための研修を担任教員に対し行った。   また、人権オンブズパーソンは、児童の授業中の行動について現地調査を行い、行動を確認した。   その結果、人権オンブズパーソンは校長と話し合い、次の2点について要請した。一つには、市の総合教育センターに相談して指導方法の検討をすることや児童の発達状況に応じた継続的な支援を受けること。二つには、児童が安心して楽しく学校生活が送れるようにするため、学校全体で取り組む組織的な支援体制を早急につくること。   また、保護者には、児童が学校生活を楽しく過ごすため、学校と保護者が車の両輪になって協力することが大切であることを話し、保護者も納得した。 (川崎市人権オンブズパーソン 平成15年度報告書*2より)

なんじゃこりゃ。

<学校における生徒の人権>

 報告書に記載されている内容からは、児童がどの程度授業のジャマをしたのか、担任が児童に対して具体的にどのような制裁を加えたのか、はっきりとはわかりません。ただ、「一年間つらい思いをしながら学校に通っていた。」とあることから推測するに、「(当該)児童の授業中の立ち歩きや、クラスメイトとのおしゃべり」は日常的に行われており、また行為の態様も「授業中止むを得ずトイレに立つ」とか、「隣席の同級生にそっと文房具を借りる」とかいったような通常許容されるべき行動ではなく「授業の中断を余儀なくされる」ほどのものであったことも報告書から読み取れます。他方、担任教員の対応については「大声で注意をしたり、聞き入れられない時には腕を強くひっぱるなどの言動」であり「児童の心を傷つけるような行き過ぎた言葉や行動があり、教育的配慮に欠けていた」と抽象的に述べられておりますが、当該児童が少し動いたくらいで担任教師が何度も口汚く罵り続けたりといったような虐待等が行われた事実が認定された様子はありません。

 本来、学校というのは学生の教育という特殊な目的を有する空間(部分社会)であり、学校(教師)には、生徒の教育という目的の達成に必要な限度内において(法令に根拠がなくても)生徒に対する包括的支配権(命令権や懲戒権)が認められるというのが通説であり、また判例においても確立しているところです。
例:「大学は・・・一般市民社会と異なる特殊な部分社会」で「一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題は司法審査の対象から除かれ」「単位認定(授与)行為は特段の事情がないかぎり司法審査の対象とならない」(富山大学単位不認定事件(最判1977.3.15))
 ですので、一般的な人権理解に基づけば、授業の中断を余儀なくされるほど教室の秩序を乱す児童に対して学校(担任教員)が一定の物理力を以って児童の行動を制限することや、懲戒権を行使することは認められています(但し、学校教育法10条により体罰までは認められていません)。
 従って、教員の指導が前述のように虐待と認定しうるほど逸脱したものでない限り「人権侵害」と認定されないはずで、「川崎市人権オンブズパーソンは人権についてよく理解していないのではなかろうか」という感じさえ覚えてしまうような事例です。

 では、当該事案について、どうしてこのような「勧告」が出されたのでしょうか。

川崎市人権オンブズパーソンとは>

 まず、「川崎市人権オンブズパーソン条例」を見てみましょう。

川崎市人権オンブズパーソン条例(抜粋)*3>

(管轄)
第二条 人権オンブズパーソンの管轄は,次に掲げる人権の侵害(以下「人権侵害」という。)に関する事項とする。
(1)子ども(川崎市子どもの権利に関する条例(平成12年川崎市条例第72号)第2条第1号に規定する子どもをいう。)の権利の侵害
(2)男女平等にかかわる人権の侵害(男女平等かわさき条例(平成13年川崎市条例第14号)第6条に規定する男女平等にかかわる人権の侵害をいう。)

(人権オンブズパーソンの職務)
第三条 人権オンブズパーソンは,次の職務を行う。
人権侵害に関する相談に応じ,必要な助言及び支援を行うこと。
人権侵害に関する救済の申立て又は自己の発意に基づき,調査,調整,勧告,是正要請等を行うこと。
制度の改善を求めるための意見を表明すること。
勧告,意見表明等の内容を公表すること。
人権に関する課題について意見を公表すること。

(人権オンブズパーソンの組織等)
第八条 人権オンブズパーソンの定数は2人とし,そのうち1人を代表人権オンブズパーソンとする。
2 人権オンブズパーソンは,人格が高潔で社会的信望が厚く,人権問題に関し優れた識見を有する者のうちから,第2条第1項に規定する人権オンブズパーソンの管轄を踏まえて,市長が議会の同意を得て委嘱する。
3 人権オンブズパーソンは,任期を3年とし,1期に限り再任されることができる。
4 人権オンブズパーソンは,別に定めるところにより,相当額の報酬を受ける。

(市の機関に対する勧告等)
第十九条 人権オンブズパーソンは,調査の結果,必要があると認めるときは,関係する市の機関に対し,是正等の措置を講ずるよう勧告することができる。
2 人権オンブズパーソンは,調査の結果,必要があると認めるときは,関係する市の機関に対し,制度の改善を求めるための意見を表明することができる。
3 第1項の規定による勧告又は前項の規定による意見表明を受けた市の機関は,当該勧告又は意見表明を尊重しなければならない。
4 人権オンブズパーソンは,第1項の規定により勧告したときは,市の機関に対し,是正等の措置について報告を求めるものとする。
5 前項の規定により報告を求められた市の機関は,当該報告を求められた日から60日以内に,人権オンブズパーソンに対し,是正等の措置について報告するものとする。
6 人権オンブズパーソンは,第1項の規定により勧告したとき,第2項の規定により意見表明をしたとき,又は前項の規定による報告があったときは,その旨を申立人等に速やかに通知しなければならない。
7 人権オンブズパーソンは,第2項の規定による意見表明の内容を公表する。第1項の規定による勧告又は第5項の規定による報告の内容で必要があると認めるものについても同様とする。

(市の機関以外のものに対する調査等)
第二十一条 人権オンブズパーソンは,調査のため必要があると認めるときは,関係者(市の機関以外のものに限る。以下同じ。)に対し質問し,事情を聴取し,又は実地調査をすることについて協力を求めることができる。
第18条第3項の規定は,関係者に対する調査の場合に準用する。
人権オンブズパーソンは,調査の結果,必要があると認めるときは,人権侵害の是正のためのあっせんその他の調整(以下「調整」という。)を行うものとする。
人権オンブズパーソンは,調査又は調整の結果について,申立人等に速やかに通知するものとする。

(事業者等に対する要請等)
第二十二条 人権オンブズパーソンは,調査又は調整の結果,事業活動において頻繁な又は重大な人権侵害が行われたにもかかわらず事業者が改善の取組を行っていないと認めるときは,当該事業者に対し,是正その他必要な措置を講ずるよう要請することができる。
2 人権オンブズパーソンは,前項の規定による要請を行ったにもかかわらず当該事業者が正当な理由がなく要請に応じない場合は,市長に対し,その旨を公表することを求めることができる。
3 市長は,前項の規定により公表を求められた場合は,その内容を公表することができる。この場合において,市長は,人権オンブズパーソンの意思を尊重しなければならない。
4 市長は,前項の規定により公表しようとする場合には,あらかじめ当該公表に係る事業者に意見を述べる機会を与えるものとする。

 この条例と人権擁護法案(以下 本法案)とは非常に似通っていますね。
違うのは、

  1. 人権オンブズパーソンは合議体ではなく、それぞれが独立して活動している。
  2. オンブズパーソンの行う調査は任意調査であり、正当な理由なくこれに従わなくても制裁はない。

 といったところでしょうか。

 次に、人権オンブズパーソンが勧告を行う際の判断準則である「川崎市子どもの権利に関する条例」を見てみましょう。

川崎市子どもの権利に関する条例(抜粋)*4>
(前文)
子どもは、それぞれが一人の人間である。子どもは、かけがえのない価値と尊厳を持っており、個性や他の者との違いが認められ、自分が自分であることを大切にされたいと願っている。
子どもは、権利の全面的な主体である。子どもは、子どもの最善の利益の確保、差別の禁止、子どもの意見の尊重などの国際的な原則の下で、その権利を総合的に、かつ、現実に保障される。子どもにとって権利は、人間としての尊厳をもって、自分を自分として実現し、自分らしく生きていく上で不可欠なものである。
子どもは、その権利が保障される中で、豊かな子ども時代を過ごすことができる。子どもの権利について学習することや実際に行使することなどを通して、子どもは、権利の認識を深め、権利を実現する力、他の者の権利を尊重する力や責任などを身に付けることができる。また、自分の権利が尊重され、保障されるためには、同じように他の者の権利が尊重され、保障されなければならず、それぞれの権利が相互に尊重されることが不可欠である。
子どもは、大人とともに社会を構成するパートナーである。子どもは、現在の社会の一員として、また、未来の社会の担い手として、社会の在り方や形成にかかわる固有の役割があるとともに、そこに参加する権利がある。そのためにも社会は、子どもに開かれる。
子どもは、同時代を生きる地球市民として国内外の子どもと相互の理解と交流を深め、共生と平和を願い、自然を守り、都市のより良い環境を創造することに欠かせない役割を持っている。
市における子どもの権利を保障する取組は、市に生活するすべての人々の共生を進め、その権利の保障につながる。私たちは、子ども最優先などの国際的な原則も踏まえ、それぞれの子どもが一人の人間として生きていく上で必要な権利が保障されるよう努める。
私たちは、こうした考えの下、平成元年11月20日国際連合総会で採択された「児童の権利に関する条約」の理念に基づき、子どもの権利の保障を進めることを宣言し、この条例を制定する。

(子どもの大切な権利)
第九条 この章に規定する権利は、子どもにとって、人間として育ち、学び、生活をしていく上でとりわけ大切なものとして保障されなければならない。

(安心して生きる権利)
第十条 子どもは、安心して生きることができる。そのためには、主として次に掲げる権利が保障されなければならない。
(1) 命が守られ、尊重されること。
(2) 愛情と理解をもって育まれること。
(3) あらゆる形態の差別を受けないこと。
(4) あらゆる形の暴力を受けず、又は放置されないこと。
(5) 健康に配慮がなされ、適切な医療が提供され、及び成長にふさわしい生活ができること。
(6) 平和と安全な環境の下で生活ができること。

(ありのままの自分でいる権利)
第十一条 子どもは、ありのままの自分でいることができる。そのためには、主として次に掲げる権利が保障されなければならない。
(1) 個性や他の者との違いが認められ、人格が尊重されること。
(2) 自分の考えや信仰を持つこと。
(3) 秘密が侵されないこと。
(4) 自分に関する情報が不当に収集され、又は利用されないこと。
(5) 子どもであることをもって不当な取扱いを受けないこと。
(6) 安心できる場所で自分を休ませ、及び余暇を持つこと。

 ・・・もういいや。この「川崎市子どもの権利に関する条例」が人権擁護法案第二条・第三条にあたるわけですが、そりゃこんなのに基づいて判断すりゃ教員による指導の大抵は“人権侵害”になるでしょう。当該事案のオカシさは「人権侵害定義のあいまいさ」なんていうものじゃなく、「未成年者の権利には制限がある」「学校のような部分社会の中では、児童生徒は管理者(校長・教員)の包括的な支配を受ける」といった通説的な人権理解を飛び越えて「子どもは、権利の全面的な主体である(条例前文)」と言い切っちゃっている「川崎市独自の人権概念」に基づいて判断せよと条例が人権オンブズパーソンに命じていることに起因しています。
 人権オンブズパーソンに「特殊な基準に基づいて判断しろ」と条例で定めているのですから、人権オンブズパーソンが当該事案のような要請を学校や担任教員に行うのも無理はないように思われます。(それでも、真っ当な(通説的な)人権の考え方に沿って判断するのが有識者たる人権オンブズパーソンの良心だろうよ、とは思いますが)。

<当該事案の問題点>

 再言いたしますが、当該事案について、人権オンブズパーソンがどのような事実認定を行ったのか、はっきりとは判りません。この「はっきりとは判らない」というのが重要でして、「明らかに行き過ぎた制裁」であったということが報告書から明確に読み取ることができれば、教育現場をむやみに萎縮させることはないはずで、教室の学習環境を著しく乱す児童に対する一般的な教師の指導をも規制することまで予測させるような報告書(裁判における判決に匹敵するもの)の書きぶりには問題があるといわざるを得ません。*5

 また、人権オンブズパーソンが単独で判断を行う仕組みになっていることもこのような勧告が行われる原因の一つであると考えられます。合議制でなく単独制である人権オンブズパーソンは、調査の過程で事実認定に偏りが生じても(合議体よりも)軌道修正が困難ですし、ルール解釈においても人権オンブズパーソン個人の偏見が修正されないまま行われてしまう危険があるからです。
 さらに、人権オンブズパーソンの行った要請や勧告に対して異議を申し立てる制度が設けられていないのは致命的な欠陥です。これは「要請や勧告には処分性がないから」という理由からそうなっているのでしょうが、「要請や勧告」の当不当を争う方法が明確になされていないことの問題性については、拙ブログで何度も取り上げているところです。(法務省(及び与党人権懇)は、「勧告に対する不服申立制度の導入」を本法案修正の一つとしているようですが、その修正の中身をよく検討する必要があるでしょう。)

<まとめ>

 法案推進派の皆さんは、本法案が当該事例から推測されるような問題を解消しうるような制度設計になっていることを論証しなければなりません。他方、川崎市人権オンブズパーソン条例と本法案がまったく同様のものであるならばいざ知らず、準拠すべき基準(子どもの権利条例)の特殊性や人権オンブズパーソンの単独性、不服申立制度の充実(本法案においては現在修正予定)など異なる点が見られる以上、当該事例一例を以って本法案を全て否定してしまうのは短絡に過ぎるように思われます。
 ともあれ、当該事案を踏まえても、私が過去のエントリーで指摘した修正(人権侵害の定義における「その他人権侵害」の削除、人権委員等選任手続の厳格化、双方当事者が意見表明を行う機会の確保、公表規定の削除、調停中における私的交渉(糾弾)の制限、不服申立制度の明確化など)が行われない限り、本法案の成立には反対であるという私の見解が変化するものではありません。
 以上見てきたように、「川崎市人権オンブズパーソン条例」や当該事例は本法案を考える上で非常に参考になることは間違いありませんので、改めて今回取り上げてみた次第です。

*1:http://www.qyen.org/archives/001129.html#336

*2:http://www.city.kawasaki.jp/75/75sioz/home/jimu/15houkoku_person/p-nenji_004.htm

*3:http://www.city.kawasaki.jp/16/16housei/home/reiki/reiki_honbun/ac40011351.html

*4:http://www.city.kawasaki.jp/16/16housei/home/reiki/reiki_honbun/ac40010921.html

*5:裁判はこの点、詳細な判決理由を公開することにより結論だけが一人歩きしてしまうことを防ごうとしています。そしてそのことが裁判の“公正さ”を裏付けていることについては、http://d.hatena.ne.jp/an_accused/20050331において触れているとおりです。