人権擁護法案検討メモ―その1

 前回のエントリーで人権擁護法案(以下、法案という)について、私は「人権擁護という司法救済のど真ん中の対象を、法務省の外局を一つ作ってなんとかしようなんていうのはおかしい。もしも深刻な人権侵犯事件が巷にあふれており、現行司法制度では如何ともし難いのであれば、司法制度そのものを改善すべきなんじゃないの」と申し上げました。そう言いつつ「法案も一つの選択ではある」などと日和見な了見を晒しているのですが。どうも「絶対反対!」とも「異議ナシ!」言い切れませんので、ふらつきながらも法案についての印象を書きとめておきたいと思います。

<人権侵害って、そんなにあるのか?―人権侵害事件処理の現状>

まず、現行の人権擁護行政が認知している人権侵害事件はどのくらいあるのでしょうか。

*人権侵犯事件の新受件数
 平成15年において全国の法務局及び地方法務局で取り扱った人権侵犯事件の新受件数は18,786件。受理区分別では、人権擁護委員の通報が9,726件(51.8%)、申告が8,673件(46.2%)、情報(新聞等の出版物の記事又は放送その他の情報によって認知して,立件したもの)が345件(1.8%)、関係官公署の通報が37件。人権侵犯新受事件のうち、私人等の行為に起因する事件(以下「私人等の侵犯事件」という。)数は17,026件(90.6%)、公務員等の職務執行に伴う事件(以下「公務員等の侵犯事件」という。)は1,760件(9.3%)。さらに,これらを内容別に見ると、私人等の侵犯事件については,暴行・虐待が5,093件(29.9%),強制・強要が4,632件(27.2%),住居・生活の安全関係が3,330件(19.6%)などとなっており,公務員等の侵犯事件については,教育職員関係が652件(37%),学校におけるいじめが542件(30.8%),警察官に関するものが155件(8.8%)などとなっています。
(法務省ホームページhttp://www.moj.go.jp/TOUKEI/t_jink01.htmlより)

 人権侵犯事件の処理は職権主義ですから、法務局への申告があれば直ちに受理されて手続に乗るわけではありません。

*人権侵犯に係る相談件数
 平成15年において、全国の法務局,地方法務局及びその支局の職員並びに人権擁護委員が取り扱った人権相談は359,971件で、種類別では、私人等に関するものが346,841件、公務員等の職務執行に関するものが13,130件となっています。
(法務省ホームページhttp://www.moj.go.jp/TOUKEI/t_jink02.htmlより)

 相談のうちの5.2%が人権侵犯事件として取り上げられるわけですから、いわゆる“電波な主張”や“強請りまがい”、“同和ゴロ”的な申立てについてはかなりの程度フィルターにかかっていると考えてもよさそうに思います。しかし法案に反対の立場をとるブログ等を拝見すると、この点(制度の悪用/濫用)について危惧されている方々が少なからずおられるようです。その中には単に条文を早とちりしちゃっているものもあれば「なるほど」と思えるものもあるので、後ほど改めて検討したいと思います(私にそんな根気があるかどうか疑わしいですが)。
 さて、受理された人権侵犯事件はどのように処理されるのでしょうか。

*人権侵犯事件の処理件数
 平成15年における人権侵犯事件の既済件数は18,643件です。これを処理区分別に見ると、告発が2件(0.01%)、勧告が7件(0.03%)、通告が0件(0%)、説示が281件(1.5%)、援助が17,667件(94.7%)、排除措置が158件(0.8%)、処置猶予が67件(0.3%)、非該当が235件(1.3%)、その他が226件(1.2%)ということです。(法務省ホームページhttp://www.moj.go.jp/TOUKEI/t_jink01.htmlより)

 処理のうち95%近くは「援助」すなわち「被害者等に対し、関係行政機関又は関係のある公私の団体への紹介、法律扶助に関するあっせん、法律上の助言その他相当と認める援助を行うこと」であり、相手方等に向けて何らかの措置を講じたものはごくわずかであるということがわかります。
 なぜ、人権侵害が認められるとされた事件であってもそのほとんどが「被害者への助言等」にとどまり相手方に対する措置が講じられないのかについては、制度運用者から伺うしかないのですが、考えられる理由としては、
1)人権侵害事件はまず警察・検察など法務局以外の機関に持ち込まれ、法務局はスジの悪い事件(警察等が手をつけたあとの残り)を処理するハメになること。
2)相手方等に対する措置を講じたところでそれに従うか否かは相手方の意思に委ねられているため、相手方等が勧告や通告を無視することが強く推測される場合はかえって措置を講じにくくなる(措置を無視されるケースが多数にのぼると、措置の“重み”がなくなってしまう)こと。
などがあるのではないかと思います。
このような状況を指して、人権擁護推進審議会は

法務省の人権擁護機関は,広く人権侵害一般を対象とした人権相談や人権侵犯事件の調査処理を通じて,人権侵害の被害者の救済に一定の役割を果たしているが,現状においては救済の実効性に限界がある
「人権救済制度の在り方について」(答申)http://www.moj.go.jp/SHINGI/010525/010525-02.htmlより

と答申しているのでしょう。人権擁護法の成立後、勧告や通告といった措置の発動が現状に比べ劇的に増加する可能性は否定できませんが、それは特別人権侵害に対する勧告に従わない場合に行われる勧告の公表が、制裁としてどの程度の効果を持ちうるかの評価によると思われます。この点についてもおいおい検討すべきですね(自分で勝手に宿題を増やしてしまいますが)。
 ちなみに、平成15年の家事調停事件新受件数は136.125件(うち53.3%が不調)、家事相談件数は438.065件です。また簡易裁判所調停事件新受件数は613.260件(うち4.5%が不成立)です。
 家事調停、民事調停がそこそこ効果的(一定の成立をみているという点で)であるのに対し、現行の人権侵犯事件に係る関係調整(人権擁護部門の仲立ちによる話し合い)がまったく効を奏していないのは、人権擁護部門による関係調整が一般的でなく、相手方にとって文字通り「よけいなお世話」として受け止められているからではないかと思われます。
 また民事調停の方が家事調停よりも成立率が高いのは、民事調停が主に経済的利益(損害)の再配分であり妥協の余地が大きいのに対し、家事調停は子どもの監護や養育費、夫婦関係調整など人間関係の調整が主な対象であり妥協の余地が小さいからと考えられます。そうであるならばまさしく人間関係のこじれである人権侵犯事件において、調停が成立する可能性がかなり低いのではないかとも考えられます。
 次回は、最後に触れたような調停を中心とする「救済のあり方」について、つらつら考えたいと思っています。